動物・家畜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 02:57 UTC 版)
野生動物を狩猟で殺害する行為は捕食(ほしょく)の延長として扱われ、家畜を殺す行為は屠殺(とさつ)という。家畜は人間の社会あるいは個人の所有物(→所有権)であるから、その生命を奪い、その肉体を食べるなり、または皮革などの部位を得ることは、多くの社会で容認されている。また捕食に関しても雑食であるとはいえ消費者であるヒトが作った社会では、食べるという基本的な生命活動であることから、その動物に特別の価値が無い限りにおいて容認される。 しかしこれらの生命は、その野生動物や家畜の所有物である。これを生存のために奪う事は「業」であるとはいえ、それらの生物から奪い去る事に他ならない。このため多くの社会では、道徳や人道の面で、それらの動物が残した肉体を十二分に活用する事で、その動物の存在に感謝するという文化を生んでいる。 他方では、この生命を捕食や皮革などの部位を得るためではなく、娯楽や、単なる憂さ晴らしのために虐待し奪う事を忌避する文化も見られる。娯楽や憂さ晴らしといった理由に拠る殺害行為では、他の犯罪行為に発展するとみる危惧もあり、動物虐待(どうぶつぎゃくたい)として罰せられる地域も多い。ただこれらは文化的要素にも関連して、一部地域にて食用とされる特定の動物に対する扱いが、他地域で問題視されるケースを含む(→捕鯨・犬食文化など) なお、不要になったり生存させることで人間の側に害が及ぶ、あるいはまだ生きているがそこから利益が得られない、ないし致命的な状態であるため苦しませるのにはしのびないなど、諸々の事情から動物を殺害してしまうことを指して殺処分という。いわゆる動物実験にて危険な伝染病に人為的に感染させその反応を見るなどした観察対象としての実験動物や、所定の家畜に伝染し根治不能な病気に罹患した動物は、伝染病蔓延の予防という観点から処分されることもある。なおこういった「殺害して処分してしまうこと」に関しては、前述の動物虐待行為に対する忌避感にも絡んで、殺害に際しても不要に苦しませることを回避しようとする活動も見られる。ことペットやコンパニオンアニマルなど、人間と深い感情的かかわりのある動物などでは、老衰や治療不能な末期症状にあるものを、安楽死のような形でその命を失わせる場合も見られる。
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