勃海を得る
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4月、勃海の民である逄約は後趙の混乱に乗じ、数千家の民衆を擁して冉魏へ帰順した。これを受け、冉閔は逄約を勃海郡太守に任じ、さらにかつて後趙の勃海郡太守であった劉準を幽州刺史に任じ、逄約と共に勃海を二分して統治させた。また、豪族の封放も勃海において民衆を大勢集めて自立した。慕容儁は封奕に逄約の討伐を命じ、昌黎郡太守高開には劉準・封放討伐を命じた。封奕は逄約の下へ赴くと、自身もまた勃海郡の出身であった事から、同郷の誼で会見を求めた。逄約はこれに応じて陣営から出てきたが、封奕は部下の張安に命じ、隙を見つけて逄約を捕らえさせた。高開もまた勃海へ進軍すると、劉準・封放はいずれも降伏して彼を迎え入れた。慕容儁は封放を勃海郡太守に、劉準を左司馬に、逄約を参軍事に任じた。逄約は多数の民衆へ前燕への帰順を持ち掛けたので、前燕はさらに人材を得る事が出来た。 7月、後趙の将軍劉顕が襄国で政変を起こし、石祗や後趙の百官を誅殺した。これにより後趙は完全に滅亡し、代わって劉顕自らが襄国を支配して皇帝を称した。8月、石祗の死に伴い、悦綰は襄国より帰還した。その報告により張挙が献上した伝国璽が偽物であった事が発覚し、常煒の発言が真実であったと証明された。慕容儁は張挙を誅殺すると共に、常煒を釈放して彼の妻や子供らに迎えに来させた。常煒が上疏して謝意を示すと、慕容儁は「卿は生きるために考えを改める事が無かった。我は州里(同郷)の人を助けたまでだ〈慕容儁は昌黎出身、常煒は広寧出身であり、いずれも幽州に属している)。今、大乱の中にあっても(常煒の)諸子がみなここに至ったのは、天命によるものであろう。天でさえ卿の事を気に懸けているのだから、我は言うまでもない!」と述べ、妾1人と穀物3百斛を下賜し、凡城に居住させた。
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勃海を得る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 17:30 UTC 版)
351年4月、勃海の民である逄約は後趙の混乱に乗じ、数千家の民衆を擁して冉魏に帰順すると、冉閔により勃海郡太守に任じられた。封奕は慕容儁により逄約討伐を命じられると、兵を率いて勃海へ侵攻して逄約の守る砦に逼迫した。ここで、逄約の下へ使者を派遣して「郷里における交流も断たれてしまって久しく、こうして出会って話をするのは甚だ難しくなってしまった(封奕もまた勃海の出身であり、逄約とは面識があった)。時事の利害については、それぞれ考えが異なるので論じる所ではないが、願わくば二人きりで1度会えないだろうか。佇結の情(積年の思い)を語り合おうではないか」と告げさせると、逄約はかねてより封奕を重んじていたので、すぐに申し出に応じて門外で封奕と会見した。ただ、お互いに騎兵を従えていたので、騎上において互いに挨拶を交わし、他愛もない話をした。ひとしきり語らい合った後、封奕は「君と私の家は代々同郷であり、その情を互いに大切にしてきた。君には後々まで無窮(永遠)の幸福を授かってほしいと切に願っている。今、こうして様子を窺う機会を得たので、包み隠さず語ろう。冉閔は石氏の乱に乗じ、尽くを自らのものとしたが、ただ天下をその武力で服させているだけだ。禍乱はまだ始まったばかりであり、天命というものは力で争う事は出来ないものだ。対して燕王は徳政を布き、義を奉じて乱を討ち、征伐する所に敵は無い。今、既に薊を都とし、南では趙・魏の地に臨み、遠近を問わず子を背負ってまで帰順して来る者が大勢いる。民は(冉閔の)害毒に嫌気がさしており、徳治を望んでいる。冉閔の滅びはもう目前であり、その成敗ははっきりと見えているだろう。また、燕王は王業を開く為、腰を低くして賢人を厚遇している。君が態度を翻せば、功臣の一人として代々まで繁栄する事が出来るのだ。亡国の将として孤城を守り、必至の禍を待つ事と、どちらがよいであろうか!」と説いた。逄約はこれを聞くと、悵然として言い返す事が出来ず、黙り込んでしまった。この時、封奕が引き連れていた部下の一人に張安という人物がおり、彼はその勇力により名を馳せていた。封奕は会見を始める前に予め彼へ「逄約の士気が落ちるのを待ち、馬で突撃を掛けて捕らえて来るように」と命じていた。張安はこれに従って機を図って出撃し、逄約を取り押さえて連れ戻って来た。こうして逄約を捕らえて陣営へ帰還すると、封奕は座において逄約へ「君は自ら決める事が出来なかったので、我が決してやったのだ。君を捕らえて手柄にする事など考えてはいなかった。ただ考えたのは君を安全に確保して民を安心させる事だ」と語った。これにより、勃海郡は前燕の領土となった。
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