勃発から最初の大規模戦闘(1499年1月から2月)
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「シュヴァーベン戦争」の記事における「勃発から最初の大規模戦闘(1499年1月から2月)」の解説
1499年1月20日にハプスブルク軍がフィンシュガウ渓谷を占有し、ミュスタイアのザンクト・ヨハン修道院で略奪を行った。これがシュヴァーベン戦争の直接の契機である。しかしすぐに三同盟の力で撤退させられ、フィンシュガウ渓谷上部の村グロレンツァで2月2日にはすでに休戦協定が署名されていた。 しかし三同盟はすでにスイスに助けを求めており、ウーリ州兵はすでにクールに到着していた。休戦したことを知ると撤退したが、帰途についたときハプスブルク兵の小隊に遭遇した。ハプスブルク側の人々はスイス人に対して日常的に侮辱を行っていたので、スイス人はこれを機とばかりにライン川を渡ってハプスブルク兵を殺害した。報復としてハプスブルク軍は2月7日にマイエンフェルトの村を略奪し、シュヴァーベン同盟に助けを求めた。わずか5日後の2月12日、いくつかの州のスイス兵が集結して村を征服したのち、ボーデン湖に向かって移動し、途中で略奪や強奪を行った。そして2月20日に最初の大規模な戦闘であるハルトの戦いが起こった。ハプスブルク軍と再び遭遇したスイス軍は、ライン川の河口に近いボーデン湖岸でハプスブルク軍を打ち破った。ほぼ同時に他のスイス兵がシャフハウゼンとコンスタンツの間のヘーガウ地域に侵入した。しかし両方の地域でスイスは数日後に撤退した。
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