副田吉成とは? わかりやすく解説

副田吉成

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 06:14 UTC 版)

副田 吉成(そえだ よしなり)は、安土桃山時代の武将。通称は甚兵衛尉。豊臣秀吉の妹で、後に徳川家康の正室となった朝日姫(南明院)の前夫とされる人物[注釈 1]


注釈

  1. ^ なお朝日姫の前夫の名を佐治日向守とする説は『武徳編年集成』および軍記『三河後風土記』によるもので、それによれば佐治は天正13年(1585年)朝日姫と離縁させられた際に自害したとされる[6]
  2. ^
    国中城わるへき覚
    置塩之御城之事 小野木清次 山崎四郎右衛門尉
    御着之城之事 蜂須賀彦右衛門尉
    一 高砂之城之事 今藤九介 山内伊右衛門
    一 神吉之城之事 副田甚兵衛
    一 阿閉之城之事 付梶原古城之事 津田小八郎 斎藤宮内丞
    一 明石之城之事 一柳喜介 伊藤七蔵
    一 平野之城之事 服部伝八 大塩金右衛門尉
    一 東条之城之事 一柳市介 速水少太
     已上
    右之城共、不入時分柄ニて候条、わらせるへき事、尤ニ存候
     卯月廿六日 秀吉(花押) — 『一柳家文書』羽柴秀吉播磨国中城割り覚[11]
  3. ^ 城は後に宮部継潤によって奪還された[7][10]
  4. ^ 烏森にある隠斎塚などといった地名は、吉成の剃髪後の名前と隠棲地に由来しているという[18]

出典

  1. ^ a b 横地 1981, p. 28.
  2. ^ a b 『太閤記』, p. 70.
  3. ^ a b 『続群書類従』上, p. 411.
  4. ^ a b c d e 太田 1963, p. 3223.
  5. ^ a b 横地 1983, p. 127.
  6. ^ 『三河後風土記』, p. 175.
  7. ^ a b c d 『武家事紀』上, p. 311.
  8. ^ 『因伯叢書』, pp. 107–108.
  9. ^ 今井 1999a, 指杭村.
  10. ^ a b c 『武家事紀』下, p. 128.
  11. ^ a b 『兵庫県史』, p. 419.
  12. ^ 今井 1999b, 神吉城跡.
  13. ^ 『因伯叢書』, pp. 137.
  14. ^ 『武家事紀』上, p. 274.
  15. ^ 『武家事紀』中, p. 64.
  16. ^ 『続群書類従』下, p. 114.
  17. ^ 『続群書類従』下, pp. 229–230.
  18. ^ a b 林 1981, 烏森村.


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