菅谷範政とは? わかりやすく解説

菅谷範政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/27 04:07 UTC 版)

菅谷範政(すげのや のりまさ、永禄元年(1558年) - 慶長17年8月9日1612年9月4日[1])は、戦国時代武将小田氏徳川氏の家臣。はじめ政光を名乗る。左衛門大夫を称した。父は菅谷政貞。妻は菅谷政頼の娘。子は菅谷範貞

小田氏治に忠義を尽くしたが、天正11年(1583年)に氏治が佐竹氏に臣従すると、これに従った。このために土浦城を失うが、後北条氏を滅ぼした豊臣氏家臣の浅野長政に小田氏に対する忠心を評価され、後に関東に入部した徳川家康に推挙されて文禄元年(1592年)その家臣に迎えられ、上総国市原郡に1000石の所領を与えられた。慶長8年(1603年常陸国筑波郡5000石に加増・移封され、子孫は幕末まで続いた。

脚注

  1. 寛政重修諸家譜』巻第六百五十




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