制定と帝国大管区の設置とは? わかりやすく解説

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制定と帝国大管区の設置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 07:48 UTC 版)

オストマルク法」の記事における「制定と帝国大管区の設置」の解説

1938年3月アンシュルスおよび1938年9月ズデーテン地方併合により、併合した領域ドイツ国およびナチ党党組織構造統合する必要が生じた。この目的のため、オーストリアの州元に7つ帝国大管区設置された。 大ウィーン帝国大管区:大ウィーンドイツ語版)。管区都:ウィーン ケルンテン帝国大管区ケルンテン州東チロル管区都:クラーゲンフルト 上ドナウ帝国大管区オーバーエスターライヒ州ザルツカンマーグートシュタイアーマルク州部分ボヘミア南部管区都:リンツ 下ドナウ帝国大管区:大ウィーンを除くニーダーエスターライヒ州ブルゲンラント州一部およびモラヴィア南部管区都:クレムス ザルツブルク帝国大管区ザルツブルク州管区都:ザルツブルク シュタイアーマルク帝国大管区ザルツカンマーグートを除くシュタイアーマルク州ブルゲンラント州一部管区都:グラーツ チロル=フォアアールベルク帝国大管区東チロルを除くチロル州およびフォアアールベルク州管区都:インスブルック ブルゲンラント州1938年10月15日分割され憲章都市アイゼンシュタットおよびルストアイゼンシュタット地区マッテルスブルク地区、ノイジードル・アム・ゼー地区、オーバープレンドルフ地区下ドナウ帝国大管区、ギュッシング地区イェンナースドルフ地区およびオーバーヴァルト地区シュタイアーマルク帝国大管区編入された。 帝国大管区には国家代理官派遣された。国家代理官はほとんどの場合ナチ党大管区指導者兼務しており、帝国大管区内の党組織行政両方掌握していた。また、行政にあたる場合も党の階級である大管区指導者の名前で呼ばれることがほとんどであったオーストリア各州にあった行政機関職務権限国家代理官および国家代理官府に移され国家代理官は、上位の法に反しない限り関係するドイツ国大臣およびドイツ国内務大臣承認得て命令(Verordnung)によって法を制定することも、条例(Satzung)によって自治行政規律することもできた。 オストマルク法では、対象地域の郡または都市管理郡長(Landrat)または上級市長(Oberbürgermeister)を頂点として行うことを定めていた。オストマルク法1939年5月1日施行され新たな帝国大管区1939年9月30日までに設置することとされた。 オストマルク法によりオーストリアボヘミア南部およびモラヴィア南部ひとまとめにしてオストマルク呼ばれることになった1940年4月には総統官邸オストマルク置いた帝国大管区総称してオストマルク帝国大管区群と呼ぶことを決め、さらに1942年4月ドナウ=アルプス帝国大管区群改称された。

※この「制定と帝国大管区の設置」の解説は、「オストマルク法」の解説の一部です。
「制定と帝国大管区の設置」を含む「オストマルク法」の記事については、「オストマルク法」の概要を参照ください。

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