制定とその経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 15:46 UTC 版)
「史蹟名勝天然紀念物保存法」の記事における「制定とその経緯」の解説
明治30年代以降、日本では急速に近代化、資本主義化がすすみ、鉄道や工場が各地に建設されて土地開発がさかんにおこなわれた。それにともない、史跡、名勝、天然記念物など、おもに土地に結びついた文化財の多くが破壊されることが少なくなかったため、これら「記念物」の保存運動が起こった。 当時、遺跡保存の運動の中心にいたのは東京帝国大学で国史学教室を主宰していた黒板勝美であった。黒板は、遺跡保存の先進地であったイギリスに留学経験のある日本の古代史学者であり、保存すべき対象として国史学で用いられることの多かった「史蹟(史跡)」の語を用いた。それに対し、「天然紀念物(天然記念物)」の語を用いたのは、東京帝大の植物学教授三好学である。かれはドイツに留学したが、ドイツには「文化記念物」(クルトゥール・デンクマール、Kulturdenkmal)と「自然記念物」(ナトゥール・デンクマール、Naturdenkmal)の分類があり、このうちの後者の概念を輸入した。法律の名称が「史蹟名勝天然紀念物保存法」と長いものになった理由はここにある。
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