初の関西制覇 ・3強時代到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 08:34 UTC 版)
「立命館大学パンサーズ」の記事における「初の関西制覇 ・3強時代到来」の解説
1994年練習拠点を立命館大学びわこ・くさつキャンパス(BKC)に移転した。当時、多くの学生は衣笠キャンパスに在籍しておりアクセスは厳しくなるものの、BKCに設けられたクインススタジアム等の設備が抜群であることから移転を決断したと言われている。秋のシーズンでは、2年生QB東野稔やLB河口正史を擁し、京大にはTDこそ奪えなかったものの5本FGを決めて競り勝ち、関学には一度逆転を許すもののQB東野からWR芝原へのロングパスをきっかけにRB中野がTD。逆転勝利を飾る。そして、最終戦の京産大戦に勝利し、7戦全勝で創部41年目で悲願のリーグ初優勝を果たした。初出場となった甲子園ボウルでも法政大学を僅差で破り学生日本一に輝いた。 1995年には、最終節に京都大学と優勝をかけて全勝対決する。立命は残り2分を切ってからの最後のシリーズで、自陣深くから敵陣2ヤードまで侵攻するが、その後ライスボウルを制して日本一に輝き 「鉄のカーテン」と異名をとった京都大学の堅守の前に、TDを挙げられず7-3で敗北する(2位)。この試合は「涙の日生球場」に肖り「涙の2ヤード」としてファンに語り継がれている。 1996年には、京都大学・関西学院大学と6勝1敗で並び3校同時優勝となり、甲子園ボウル出場を賭けたプレーオフに突入する。準決勝の関学戦には勝利したものの、決勝の京大戦には東野の負傷もあり敗れる。この年には併せてユニフォームをマイナーチェンジして、黄色を廃し、マルーンと白のみとした。 1997年には下馬評は高かったものの、関学に敗れ2位に、1998年は全勝で3回目のリーグ制覇を達成し、甲子園ボウルでは法政大学を破り2回目の学生日本一となるが、ライスボウルではリクルートシーガルズ(現オービックシーガルズ)に敗れる。 1990年代中盤の関学・京大・立命の優勝争いは「3強対決」と呼ばれ、実力が接近した3強の戦いはリーグ戦を大いに盛り上げた。
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