初の遭難信号SSSDDDの提案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/09 04:32 UTC 版)
「SOS」の記事における「初の遭難信号SSSDDDの提案」の解説
海難事故に遭った船舶が、無線電信により実際に救助された最初の事例は、1899年4月28日にドーバー海峡の北入口、グッドウイン砂洲の浅瀬に常時係留されている灯台船「イースト・グッドウィン」が、濃霧の中を航海してきた「マシューズ号(SS R.F. Matthews)」に追突された事件である。船体を損傷したイースト・グッドウィン灯台船はサウス・フォアランド灯台に無線電信で救助を求めて無事救出されたが、この時期にはまだ遭難信号というものを定めていなかった。 1900年4月25日にマルコーニ国際海洋通信会社が設立された。マルコーニ国際海洋通信会社は、北ドイツ・ロイド社の大型客船「カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ号(SS Kaiser Wilhelm der Grosse)」に無線局を開設して、同年5月15日より世界初の海上移動における無線電報サービスをスタートさせた。1901年になるとキュナード・ライン社の大型客船ルカーニア号(RMS Lucania)やその姉妹船カンパニア号(RMS Campania)をはじめ、続々とマルコーニ局が置かれた。 こうして海上移動の無線電報サービスは順調に発展していったが、世界共通の遭難信号は1903年8月4日から13日にベルリンで開かれた無線電信予備会議で提案されたものが最初である。イタリア代表より遭難信号SSSDDDの提案があったが採択には至らなかった。
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