涙の日生球場とは? わかりやすく解説

涙の日生球場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 04:39 UTC 版)

京都大学ギャングスターズ」の記事における「涙の日生球場」の解説

前年1976年関学145連勝止めた京大は、翌1977年は春の西日本選手権大会では35-0関学圧勝し優勝候補本命として秋のリーグ挑んだ関学も春の不調からチーム立て直し最終節に両校は全勝対決することとなった。 この試合は、当初万博記念競技場11月20日開催される予定であったが、急遽毎日放送中継録画)されることになり、試合開催1週間繰り上がって11月13日となった。これにより万博記念競技場使用出来なくなり代替試合会場として今までリーグ戦試合が行われたことがない日生球場開催されることとなった春の試合大勝しリーグ戦での総得点上回っていた(前節まで関学の総得点353京大の総得点436であった)ことから、下馬評京大有利と言われており、前半京大14-7リードする展開となる。しかし、そこから関学追い上げ第4クォーターに2ポイントコンバージョンを決め逆転する最後関学がもう1本TD加え終了間際京大攻撃凌ぎ切り勝利を収めた関学29-21京大)。 試合終了後リーグ連続優勝記録更新し安堵した関学選手の目に涙があったことから、この試合は「涙の日生球場」として語り継がれている。また、日生球場1997年解体)での最初で最後リーグ戦試合となったこともあり、関西学生リーグ史に残る特別な試合とされている。

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涙の日生球場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 04:42 UTC 版)

関京戦」の記事における「涙の日生球場」の解説

1977年には、遂に最終節全勝対決関京戦実現するテレビ中継都合上小雨降る日生球場行われた対戦は、春の西日本選手権京大35-0圧勝しており、京大圧倒的有利と言われていた。試合前半京大14-7リードするが、関学追いすがり4Qに関学が2PTコンバージョン決め22-21と逆転しそのまま勝利した関学29-21京大)。この関京戦は「涙の日生球場」として語り継がれている。京大振り切った関学同年甲子園ボウル5連覇の大偉業達成関学1979年同志社と、1980年近大甲子園ボウル出場をかけたプレーオフ戦い勝利し連続優勝記録34にまで更新された。

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