涙の日生球場
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「京都大学ギャングスターズ」の記事における「涙の日生球場」の解説
前年の1976年に関学の145連勝を止めた京大は、翌1977年は春の西日本選手権大会では35-0で関学に圧勝し、優勝候補の本命として秋のリーグに挑んだ。関学も春の不調からチームを立て直し、最終節に両校は全勝で対決することとなった。 この試合は、当初万博記念競技場で11月20日に開催される予定であったが、急遽毎日放送で中継(録画)されることになり、試合開催が1週間繰り上がって11月13日となった。これにより万博記念競技場が使用出来なくなり、代替の試合会場として今までリーグ戦の試合が行われたことがない日生球場で開催されることとなった。 春の試合に大勝し、リーグ戦での総得点で上回っていた(前節まで関学の総得点353、京大の総得点436であった)ことから、下馬評は京大有利と言われており、前半京大が14-7とリードする展開となる。しかし、そこから関学が追い上げ第4クォーターに2ポイントコンバージョンを決め逆転する。最後は関学がもう1本TDを加え、終了間際の京大の攻撃を凌ぎ切り勝利を収めた(関学29-21京大)。 試合終了後、リーグ連続優勝記録を更新し安堵した関学の選手の目に涙があったことから、この試合は「涙の日生球場」として語り継がれている。また、日生球場(1997年に解体)での最初で最後のリーグ戦の試合となったこともあり、関西学生リーグ史に残る特別な試合とされている。
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涙の日生球場
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翌1977年には、遂に最終節全勝対決の関京戦が実現する。テレビ中継の都合上小雨降る日生球場で行われた対戦は、春の西日本選手権で京大が35-0で圧勝しており、京大が圧倒的有利と言われていた。試合は前半京大が14-7とリードするが、関学も追いすがり4Qに関学が2PTコンバージョンを決め22-21と逆転し、そのまま勝利した(関学29-21京大)。この関京戦は「涙の日生球場」として語り継がれている。京大を振り切った関学は同年甲子園ボウル5連覇の大偉業を達成。関学は1979年に同志社と、1980年に近大と甲子園ボウル出場をかけたプレーオフを戦い勝利し、連続優勝記録は34にまで更新された。
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