涙の特別競輪初優勝とは? わかりやすく解説

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涙の特別競輪初優勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 20:37 UTC 版)

藤巻昇」の記事における「涙の特別競輪初優勝」の解説

藤巻1973年より北海道へ移籍したが、後にドンアニイ呼ばれるほど、競輪界の「大御所」として睨みを利かせるようになったのは、この北海道移籍以後からだといって過言ではない。 先に特別競輪制したのは藤巻清志のほう(1975年高松宮杯競輪)で、藤巻当時いまだ無冠であったが、上述通り1976年前橋競輪場初め開催された特別競輪第19回オールスター競輪にて、ついに「無冠の帝王」を返上するときがやってきた。 もともと追い込み主体としていた藤巻が、このオールスター開催1年ほど前あたりから、先行へと戦法変えていた。普通、追い込みから先行へと戦法変えるのは至難の業であるが、藤巻見事にそれをやってのけたオールスター決勝では、当年世界自転車選手権プロ・スクラッチ(スプリント銅メダル菅田順和が3連勝決勝へと駒を進め完全優勝王手かかっていた。 レースは、前で受けていた菅田対し藤巻は清志を連れホームから一気菅田叩き出た。この動き慌てた菅田は1センターバランス崩しズルズル後退菅田抑えきった以上、捲ってくる選手もおらず、藤巻そのまま逃げ切り。2着に清志が入り、特別競輪史上初の兄弟ワンツーフィニッシュ果たしたことで、マスコミが「兄弟仁義」と銘打った悲願の特別競輪初優勝果たした藤巻レース号泣暮れ、清志がやっとこさ支えている状態だった。つまり藤巻という男はドン呼ばれる一方で涙脆いであったともいえる。しかしこの優勝以後藤巻本当に息の長い選手として後にも特別競輪等で大活躍することになる。 さらにこの年藤巻生涯ただ一度賞金王輝いた(5,674万2,000円)。

※この「涙の特別競輪初優勝」の解説は、「藤巻昇」の解説の一部です。
「涙の特別競輪初優勝」を含む「藤巻昇」の記事については、「藤巻昇」の概要を参照ください。

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