冨永信政とは? わかりやすく解説

冨永信政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/09 10:26 UTC 版)

冨永とみなが 信政のぶまさ
生誕 1888年3月23日
日本東京府
死没 (1943-11-09) 1943年11月9日(55歳没)
インドネシアアンボン
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1943年
最終階級   陸軍大将
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冨永 信政(とみなが のぶまさ、1888年明治21年)3月23日 - 1943年昭和18年)11月9日)は、日本陸軍軍人、最終階級は陸軍大将

経歴

東京都出身。冨永政利陸軍中佐の息子として生まれる。早稲田中学名古屋陸軍地方幼年学校中央幼年学校を経て陸軍士官学校を卒業。

日中戦争勃発後には、第21師団の第21歩兵団長として徐州に駐屯し治安維持に当たる傍ら蘇北作戦などにも参戦。次いで1940年(昭和15年)12月から第27師団長として天津に駐屯。

1942年(昭和17年)12月に第19軍司令官に補されインドネシアアンボンに赴任するが現地で発病、1943年(昭和18年)11月9日に亡くなる。没後、陸軍大将を贈られ、1974年(昭和49年)9月28日には勲一等旭日大綬章(戦歿者叙勲)を贈られた。

年譜

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

参考文献

脚注

  1. ^ 『官報』1910年02月23日 叙任及辞令
  2. ^ 『官報』1913年04月22日 叙任及辞令
  3. ^ 『官報』1918年05月21日 叙任及辞令
  4. ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1923年8月1日。
  5. ^ 『官報』第535号「叙任及辞令」1928年10月5日。
  6. ^ 『官報』第1709号「叙任及辞令」1932年9月8日。
  7. ^ 『官報』第3208号「叙任及辞令」1937年9月10日。
  8. ^ a b 陸軍中将富永信政外七名叙位の件/海軍中将平田昇」 アジア歴史資料センター Ref.A12090381000 
  9. ^ 故陸軍大将富永信政位階追陞の件」 アジア歴史資料センター Ref.A12090359800 
  10. ^ 『官報』第3297号「叙任及辞令」1923年7月26日。
  11. ^ 『官報』第2131号「叙任及辞令」1934年2月10日。
  12. ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1939年11月17日。
  13. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  14. ^ 『官報』第4848号「叙任及辞令」1943年3月13日。
  15. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)
  16. ^ 『官報』第8371号「叙任及辞令」1911年5月20日。




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