兼六坂暴走事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 13:40 UTC 版)
「北陸鉄道金沢市内線」の記事における「兼六坂暴走事故」の解説
1965年(昭和40年)6月24日、ブレーキ故障が原因で電車が急な下り坂を暴走し脱線・転覆するという事故が発生した。事故現場は兼六園脇の兼六坂(尻垂坂)。小立野発野町駅前行きとして半鋼製単車モハ300形309が運行中のところ、兼六坂上の出羽町停留場を発車後、ブレーキロッドの折損が発生した。運転士の下車点検中、坂上に停車していた電車が乗客を乗せたまま動き出してしまったため、運転士は持っていたブレーキハンドルを手歯止めにして停車させようとしたが失敗。レバー不携帯のまま電車に戻ったが急坂を下る電車を止めることができず、電車は坂下の兼六園下停留場の分岐器に引っ掛かり脱線、その勢いのまま30メートル走って横転した。 事故発生が15時50分であったことから乗客には下校中の中学生が多かった。事故で乗客23人と乗務員2人が重軽傷を負い、うち当日夜に中学3年生の男子1名が死亡した。市内線では1955年7月21日に鳴和町で発生した脱線事故(乗客10人重軽傷)に次ぐ大事故であった。事故翌日、金沢市長や市議会、金沢商工会議所から安全対策の徹底を求める意見が相次ぎ会社へ提出される。警察からは全車両のブレーキ設備再点検および事故車と同タイプの半鋼製単車の検査完了までの運行停止を警告された。事故後、名古屋陸運局の調査が入り、次いで7月末には運輸省・建設省合同の保安監査が入って車両整備の徹底や運転保安の再教育などについて勧告があった。 以前から運転士の間では自動車増加による速度低下で電車をいずれ廃止せざるを得ないと話し合われていたが、この暴走事故が金沢市内線廃止の流れを決定づけたとされる。
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