共産政権化下の文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 07:49 UTC 版)
「ルーマニアの文化」の記事における「共産政権化下の文化」の解説
共産主義政権のもとでは、活発な編集活動が行われた。大勢の国民に教育することを目的として、膨大な数の書物が出版された。ルーマニア書籍 (Cartea Românească) やエミネスク出版社 (Editura Eminescu) といった大型の出版社が登場し、5,000タイトルを超える『大衆のための図書館 (Biblioteca pentru Toţi)』など、巨大な作品集が出版された。また、通常、書籍は5万部以下で刷られることはなかった。すべての村に図書館が置かれ、ほとんどすべてが最新の出版物で占められていたほか、低価格であったため、誰もが本を自宅に購入することができた。一方で負の側面もあり、書籍はすべて厳しい検閲にさらされた。さらに、日用品は配給で賄われており、印刷や紙の質が著しく低かったため、本は簡単に劣化してしまった。 この期間、小さな町であっても劇場が設置されたことから、劇場の数は大幅に増加した。多数の新しい施設が建設され、大都市においてはこれらが重要なランドマークとなった。ルーマニアの道路元標のすぐ隣、市の中心に置かれたブカレスト国立劇場がその代表例である。小さな町では、セミプロフェッショナルの劇場である「労働者の劇場」が存在した。ほかの娯楽施設が不足していたこともあり、劇場は人気が高く、俳優の数も増えた。劇場にはすべて国の予算が投入されたため、経営は安定していた。しかし、劇場にあっても政権は厳しい検閲を常に課しており、イデオロギーに沿うような作品のみが上演を許された。遠隔地において何とか存続していたより革新的な劇場は、若い俳優に好まれていたが、ほとんど地元の観客しか訪れることはなかった。 映画館は劇場と同様に発展した。同じ施設が劇場と映画館を兼ねることもあった。映画は非常に人気があり、1960年代からは外国映画も広く普及するようになった。西欧の映画に関しては、厳しい検閲にかけられた。一部がまるごとカットされ、会話はイデオロギーにおいて受け入れられるもののみが選ばれて翻訳された。上映される映画の大部分は、国産のもの、もしくは「友好的な」外国のものであった。この時代に、ルーマニアでは映画撮影も行われはじめ、最初に制作されたのは、カラジアーレの戯曲にもとづく短編映画であった。1960年代には、政府の資金援助により、ブカレストに近接するブフテアで映画産業が発達し、ギャング、西部劇、歴史に関する映画など、一部映画は一般人からも根強い人気があった。この時代の最も多作な映画監督はセルジウ・ニコラエスクで、俳優としてはアムザ・ペレアの人気が高かった。
※この「共産政権化下の文化」の解説は、「ルーマニアの文化」の解説の一部です。
「共産政権化下の文化」を含む「ルーマニアの文化」の記事については、「ルーマニアの文化」の概要を参照ください。
- 共産政権化下の文化のページへのリンク