共産圏国家の軍事行動を「進入」と表現する事例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:23 UTC 版)
「侵略」の記事における「共産圏国家の軍事行動を「進入」と表現する事例」の解説
家永三郎は、1993年に検定申請した教科書『日本史B』において、朝鮮戦争に関する記述に「1950年(昭和25年)朝鮮民主主義人民共和国軍が統一を目指して南進し」とし、共産主義側の侵略(武力をもって他国に侵攻することは侵略である)を糊塗する「南進」という表現を用いている。このような例は、教師用の「指導の手引き」といった指導書にも見られ、秦郁彦が「ドイツについては『侵入』という言葉を使っているのに対して、同じことをやってもソ連は『進駐』という表現になる。それで日本となると『侵出』となる」という例を、藤岡信勝との対談の中で紹介している。また、関寛治はソ連によるアフガン侵攻を「進攻」という字句で表現し、高木正幸はハンガリー動乱について自著で触れる際、「ソ連軍によるハンガリー進入」と表現し、坂本義和も「アフガニスタン侵入」と表現している また、神田文人は一般向け通史で以下のように記している。 さらに78年6月、ベトナムがカンボジアに、同8月、中国がベトナムにそれぞれ進入し、79年12月、ソ連もアフガニスタンに進入するにおよんで、社会主義=平和勢力のイメージが崩壊し、「社会主義戦争」の呼称さえあらわれた。 中宮崇は、『筑紫哲也 NEWS23』が映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を紹介した際には、「この映画は中国による『自治権拡大』を描いた」というナレーションを流していると批判した。 浅羽通明は、かつて家永教科書裁判の際には「国家権力による教育の統制である」と反対していた勢力が新しい歴史教科書をつくる会の採択阻止のために教科書検定に頼ったとし、その図式を「ダブルスタンダード」と批判した。また稲垣武は、2001年2月21日の『朝日新聞』は「つくる会」教科書の白表紙本(検定中のものであり公表が禁じられている)の内容をあげつらい「中韓など反発必至」と報じているとし、こうした態度を新聞報道の倫理から逸脱していると批判した。
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