共産革命後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 06:26 UTC 版)
「パラマウント (上海)」の記事における「共産革命後」の解説
1949年の中華人民共和国の建国後も、ダンスホールを中心として営業は続けられたが、1951年には施設全体が国有化のうえで改装されて1070席を備えた劇場となり、華越劇団(後の南京市越劇団(中国語版))の拠点となった。1954年以降も様々な改装が進められ、1956年にダンスホールは閉鎖された。ダンスホール中心だったこの建物は、さらに改築が施され、劇場である紅都戯院となり、さらに文化大革命の時期に映画館であることを示す紅都電影院という名称となった。紅都電影院では、毛沢東思想のプロパガンダ映画が上映された。1978年にはさらに改称され、紅都影劇場となった。 1990年6月11日、紅都電影院の入口の雨よけの庇が経年劣化から崩れ、歩行者ひとりがその下敷きになって圧死した。紅都電影院は直ちに営業停止となり、大掛かりな修理がおこなわれ、修繕後の1991年には、百楽門影劇院と改称された。 1994年には上海市人民政府が指定した優秀歴史建築のひとつとされ、1999年には外装の修復が行われた。この時点では、映画館と喫茶店が2階、レストランが3階、ダンス・ホールが4階という構成になっていた。
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