公安軍の反乱とベルギー軍の介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 07:04 UTC 版)
「コンゴ動乱」の記事における「公安軍の反乱とベルギー軍の介入」の解説
独立宣言はしたものの、ベルギー政府もコンゴ政府も植民地時代の社会秩序を直ぐに変更するつもりは無かった。ベルギー政府は白人が永久にその地位を保持し続けられるかもしれないと期待した。コンゴ共和国は植民地時代の制度に依存していた。白人の指揮下に置かれた公安軍や、白人の技術専門家に変わり得る適切な資格を取得した黒人が不在の状況は変わらないままであった。大多数のコンゴ人が独立が有形かつ即時の社会変化をもたらすことを想定していたために、相変わらず重要度の高い地位の多くが白人によって独占されている現状に憤慨した。公安軍最高司令官を務める中将、エミール・ジャンセン(英語版)は独立式典の翌日にレオポルドヴィルに駐屯する黒人の下士官連中を集めて、自分の指揮下では現在の状態が今後も維持されるであろうと述べて黒板に「独立前=独立後」と書き込むことで要点をまとめたが、これは独立後に賃金の大幅な上昇を期待していた黒人兵士達からは非常に不評であった。7月5日にはチスヴィル近郊で幾つかの部隊が白人指揮官に対して反乱を開始した。これ以降、暴動は全国の駐屯地に急速に波及していった。 ルムンバは騒動を鎮静化させるためにジャンセンを解任し、コンゴ公安軍の名称をコンゴ国民軍(ANC)に変更した。黒人兵士達は全員、少なくとも1ランクは昇進した。ビクター・ルンドラ(英語版)は曹長から少将に昇進し、ジャンセンに代わる新たな司令官に就任した。同時に、ジョゼフ=デジレ・モブツは参謀長に就任し、ルンドラの副官かつルムンバの側近という役割を担うことになった。ルムンバとカサブブは反乱者と直接交渉して武器を捨てるよう彼らを説得しようとしたが、国の大部分で反乱が激化していった。白人の兵士や民間人は暴行を受け、白人が所有する財産は略奪され、白人女性は陵辱された。白人の民間人が難民として近隣諸国へ流出するようになると、ベルギー政府は情勢を深く憂慮するようになった。 7月9日にベルギーはコンゴ政府の許可を得ずにカバロに空挺部隊を配備し、逃げ惑う白人の民間人を保護した。10日にはベルギー政府は10,000人の兵士のコンゴへの投入を決断し、輸送が開始された。許可を得ないこの武力介入は国家主権の侵害に当たる行為であった。カサブブがベルギー軍の介入を受け入れたのと対照的に、ルムンバは介入を非難して「我々の共和国の脅威」を防ぐために団結するようにすべてのコンゴ人に呼び掛けた。ルムンバの要請に応じて11日にベルギー海軍は港湾都市のマタディから白人の民間人を避難させた。ベルギーの船はその後に市内を砲撃し、少なくとも19人の民間人が死亡した。この行動が全国の白人に対する新たな攻撃を呼び起こす原因になり、他の都市内や町内に侵入したベルギー軍とコンゴ軍の間でレオポルドヴィルも含めて衝突が発生した。
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