全国高校野球選手権大会優勝までの道のりとは? わかりやすく解説

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全国高校野球選手権大会優勝(1977年)までの道のり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 15:19 UTC 版)

松本正志」の記事における「全国高校野球選手権大会優勝1977年)までの道のり」の解説

東洋大姫路高校在学中監督だった梅谷馨は、入学直後制球不安定ながらも大変なスピードボール投げ松本の姿を見た瞬間、「この子松本)が順調に育てば(夏の選手権大会で全国制覇達成できるかも知れない」と思ったという。 松本2年時1976年以降は、「全国制覇確実」と言われるほどチーム戦力充実していていて、対外試合では敗戦どころか接戦持ち込まれることもほとんどなかった。そこで梅谷は、「接戦経験させる必要がある」との考えから、知人練習試合審判任せた松本投げる球を全てボール」に、相手投手投球全てストライク」と判定するように依頼したこともあったとされる。 ところが松本は、2年時秋の兵庫県大会で先発任されながら、13個もの四死球記録チーム敗戦喫したばかりか2年連続選抜大会出場可能性失ってしまった。試合後には敗戦ショックから「野球やめたい」とまで口走ったが、居合わせたチームメイトから「それならみんな(野球を)やめる。俺らは『お前(松本)がいるから全国制覇(を達成)できる』と思って頑張っているんや」と言われたことで奮起3年時1977年)には、夏の選手権兵庫大会でチーム優勝導いたことによって、春(選抜大会)に逃した甲子園球場への再登場漕ぎ着けた3年時夏の選手権大会では、初戦2回戦)で千葉商業高校打線相手完封勝利達成浜田高校との3回戦では、先発で6回終了まで失点凌ぐと、7回から宮本マウンド譲ってバッテリー以外のポジション回ったチーム大量リード踏まえた交代であったが、宮本最初に対戦した打者ライナー右手受けて5球で降板余儀なくされたため再び登板浜田打線1点許さないまま、試合終了まで投げ切った事実上の2試合連続完封勝利)。豊見城高校との準々決勝では3失点喫したものの、今治西高校との準決勝では、打球が左膝を直撃するアクシデント見舞われながら3度目完封勝利マーク坂本佳一擁する東邦高校との決勝では、1点失いながらも、チーム延長10回裏2死1・2塁から4番打者安井浩二3点本塁打サヨナラ勝利を収めた選手権大会決勝サヨナラ本塁打決着した事例は、大会史初めてである。

※この「全国高校野球選手権大会優勝(1977年)までの道のり」の解説は、「松本正志」の解説の一部です。
「全国高校野球選手権大会優勝(1977年)までの道のり」を含む「松本正志」の記事については、「松本正志」の概要を参照ください。

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