入院患者と娯楽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 06:37 UTC 版)
「サンフランシスコ・シャビエル肺結核療養所」の記事における「入院患者と娯楽」の解説
かつて肺結核の療養には数年にも及ぶ長期入院が必要であり、娯楽の乏しい時代には入院生活の退屈に耐える忍耐が要求された。特に戦時中は日本語の書籍や音楽が禁止されていたため、患者達はまったく娯楽の無い時間を過ごさなければならなかった。 戦後、レコードの寄贈を受けるようになり、療養所内で日本語の懐メロが終日流れるようになった。療養日記の回し書きと雑誌の回し読み等が積極的に行われ、日本語とポルトガル語の勉強会も開かれた。食道楽グループが結成され、各自で購入した食材を療養所の炊事場で料理してもらい楽しむようなこともあった。1946年には入院患者達がお互いの交流を深め、励まし合うために自発的に自治会「松の実クラブ」を創立した。同年、機関紙「松の実」を創刊された。当初は手書きだった松の実も3号から謄写版、5号から200頁にも及ぶ活版印刷となり、8号まで続いた。内容は結核の諸知識をはじめ様々な立場から専門的あるいは文学的に書かれた記事であった。 1951年5月、松の実クラブ売店が設置され、入院患者に日用品を提供し、その利益をクラブの運営費に当てた。最盛期にはクラブの利益は映画フィルムの運搬費用に使われた。サンパウロ新聞で呼びかけた運動によって集まった寄付金で映写機を購入し、サンパウロ市内の日系の映画関係者(松竹、日活、シネ・ニテロイ、南米東宝等)の協力により、使用期限を厳守することを条件に無料でフィルムが貸し出されることになった。 更に時代が下るとテレビ、ビデオ、カラオケ、様々な書籍、囲碁、将棋と豊富な娯楽が享受できるようになった。
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