保安庁警備隊・海上自衛隊時代
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「桑栄丸」の記事における「保安庁警備隊・海上自衛隊時代」の解説
1952年(昭和27年)8月1日、保安庁警備隊が発足、海上保安庁航路啓開本部および各航路啓開部は保安庁に移管。掃海船艇も桑栄丸以下53隻が移管された。同年11月1日、呉航路啓開部に編入された。桑栄丸は戦後、日東商船より用船し、試航船として使用してきたが、昭和28年初頭に日東商船が本船の用船契約を解除しタイに売却する意向を示してきた。しかし、警備隊唯一の大型試航船の桑栄丸を失うと試航任務に重大な支障を来すこととなるため、保安庁警備隊では日東商船と交渉し1953年(昭和28年)3月2日、本船を8000万円で購入した。同年9月16日、警備隊の組織改編により航路啓開隊が廃止となり、呉地方基地隊に編入された。1954年(昭和29年)7月1日、防衛庁が設置され、海上自衛隊が発足し、同日付で艦種類別が改正され掃海艦の類別が設けられたため桑栄丸は掃海艦に分類された。同年10月1日、長官直轄部隊の第1掃海隊群が新編され、桑栄丸は直轄艦として編入され、試航任務のみならず、掃海母艦としての任務にも従事した。同年12月1日、艦名を「桑栄」と改めた。1957年(昭和32年)9月1日の訓令により自衛艦に艦種記号および番号が付与されることとなり、掃海艦にはGP(Guinea Pig の意)が付与された。しかし、番号は掃海艦は桑栄しかいなかったため付与されなかった。同年10月2日に東京湾羽田沖で実施された海上自衛隊初の観艦式には観閲部隊の観閲付属艦として参加した。なお、これが桑栄にとって最初にして最後の観艦式参加であった。1960年(昭和35年)10月1日、海上自衛隊艦船の類別区分が改正され、桑栄にも艦番号441が付与された。1961年(昭和36年)9月1日、第2掃海隊群が新編され桑栄は直轄艦として編入。掃海母艦としての支援任務のほか、輸送任務、潮流観測任務にも従事した。しかし、戦時急造船だったため、建造後18年経過すると船体、機関の老朽化が著しいため、1963年(昭和38年)3月1日、呉地方隊に編入。同31日、自衛艦籍から除籍され、波乱に満ちた18年の生涯を閉じた。海上自衛隊の艦船では珍しく、除籍まで漢字名のままであった。
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