作品評価の変遷とは? わかりやすく解説

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作品評価の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 05:20 UTC 版)

ピョートル・チャイコフスキー」の記事における「作品評価の変遷」の解説

チャイコフスキー初期の作品ピアノ協奏曲第1番は、現在でこそ冒頭部分などだれでも聞いたことのあるほどポピュラーだが、作曲された際にはニコライ・ルビンシテインによって「演奏不可能」とレッテルを貼られ、初演さえおぼつかない状態にあった(しかし、のちにルビンシテインはこの曲をレパートリーとするに至った)。 ピアノ協奏曲同様、現在では非常に有名なヴァイオリン協奏曲場合も、名ヴァイオリニストレオポルト・アウアー打診するも、「演奏不可能」と初演拒絶されてしまった。そのためこの曲はアドルフ・ブロツキーヴァイオリンハンス・リヒター指揮によって初演された。しかし聴衆反応芳しくなく、評論家エドゥアルト・ハンスリックからは「悪臭放つ音楽」と酷評された。しかしこの作品真価確信していたブロツキー各地ヴァイオリン協奏曲演奏し次第世評を得るようになったという。その後アウアーもこの曲を評価し自身レパートリーにも取り上げようになった最後の交響曲である交響曲第6番悲愴』も、初演時の聴衆反応は好ましいものでなかったとされる不評理由作品の持つ虚無感不吉な終結よるもの思われる。しかし、世評を気にしがちなチャイコフスキーも『悲愴』だけは初演不評にもかかわらず「この曲は、私のすべての作品の中で最高の出来栄えだ」と周囲に語るほどの自信作だったようだチャイコフスキーバレエ作品としてのみならずバレエ演目代表として知られる白鳥の湖』も1877年ボリショイ劇場での初演失敗終わり、たいへん意気消沈した彼は再演拒否するほどであった。しかし不評原因振り付け演奏などの悪さよるものであり、死後2年後マリウス・プティパらが遺稿からこの作品発掘し振り付けなどを変えて蘇演した。この公演たいへんな人気博し以降たくさんの振付師が、独自の作品解釈でこの作品振り付け演出挑戦している。現代では『白鳥の湖』はもっとも有名なバレエ演目のひとつであると同時に多く舞踏家振付師関心をひく端倪すべからざる作品となっている。 なお数多くないが、正教会聖歌作曲している(『聖金口イオアン聖体礼儀』など)。これはロシア正教会事前許可得ず作曲されたものであったため、一時教会巻き込んだ訴訟沙汰にもなった。現在ではロシア正教会ウクライナ正教会日本正教会などで歌われている。 また、のちのロシア著名な作曲家による批評であるが、ストラヴィンスキープロコフィエフ作曲家としてのチャイコフスキー高く評価する一方ショスタコーヴィチはまった評価しなかったとの証言がある。 なお、宗教およびロシア帝国否定した旧ソ連時代には、出版演奏においてチャイコフスキー宗教的および愛国的な作品のタイトル改竄されたり(『戴冠式祝典行進曲』→『祝典行進曲』など)、ロシア帝国国歌引用削除されたりする(『序曲1812年」』。グリンカ作曲歌劇『イワン・スサーニン(皇帝に捧げし命)』の終曲差換え)などした。これらはソ連崩壊後原典版戻された。

※この「作品評価の変遷」の解説は、「ピョートル・チャイコフスキー」の解説の一部です。
「作品評価の変遷」を含む「ピョートル・チャイコフスキー」の記事については、「ピョートル・チャイコフスキー」の概要を参照ください。

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