体操塾時代のダンス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 03:49 UTC 版)
「日本女子体育専門学校 (旧制)」の記事における「体操塾時代のダンス」の解説
体操塾の頃のトクヨのダンスは、女子の体格改善を目指すダンスであり、トクヨが1人で教えていた。トクヨは1期生の体格を研究し、その結果を『わがちから』に掲載した。トクヨは、体操教師を目指す塾生の体格は日本人女性の中でも優れている方だろうと考えていたが、その結果は貧弱で異常な発育状態であり、トクヨは愕然とした。具体的な数値を挙げると、塾生の平均値は身長151.06 cm、体重48.72 kg、肺活量2,247 cc、握力は右20.4 kg、左18.8 kgであった。(当時のイギリスの20代女性は身長157.58 cm、体重55.33 kg、日本の成人男子は身長164.58 cm、体重64.00 kg、肺活量3,722 cc、握力は右47.1 kg、左43.8 kg。)トクヨの分析結果を次に示す。 身体の発育が矮小 身体の発育を代表する部分がみな細い - 首・胸・腰が細い 腕の発育不良 - 前腕は西洋婦人より長いが発育は悪い 脚の発育不良 - 下腿は日本男子より発達するが、大腿は不良 股関節が完全に伸びていない そこでトクヨは脚の強化のために舞踊を、股関節や上体の強化のために西洋舞踊が良いと考え、ダンスを奨励した。ここで言うダンスは体格改善のためのダンスを主とし、趣味的・娯楽的ダンスは副次的に行うものであった。 トクヨが日常的に教えていたダンスの内容を窺い知ることができる資料として、処女会指導者歓迎会(1922年10月4日)の記録が残っている。歓迎会は、体操・遊技・競技・客員競争・プロムネードの5つのプログラムに分けられていた。この中からダンスに相当するものを抽出すると、まず体操では、跳躍運動の代わりに「競技舞踏」を行った。競技舞踏とは東京YMCAでスコット・ライアン(W. Scott Ryan)が指導した体育ダンスの1種であり、砲丸投、円盤投、やり投、マラソンを取り入れたダンスであった。続く遊技では、ふたり遊び、お馬さん、万歳、ロブスタージッグ、クロッグダンス(英語版)、三人遊び、月見ポルカの各演目を披露した。競技と客員競争は各国競争(ランニング)やだるま運びなどの運動会的な種目のみでダンスは含まれず、最後のプロムネードでは「体育奨励の歌」を歌いながらの行進遊戯が行われた。歓迎会は16時に始まり19時に成功裏に終わった。
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