住吉神宮寺
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住吉大社境内では、かつて神宮寺が営まれていた。『古今著聞集』では本地仏の高貴徳王菩薩の託宣があったとし、『住吉松葉大記』では天平宝字2年(758年)の創建とし、新羅渡来の薬師如来を本尊としたため「新羅寺」とも称されたとする。ただし貞観8年(866年)には住吉社での読経の際に朝廷から僧11人が派遣されているため、この時点までの神宮寺の存在は必ずしも確かではない。 『扶桑略記』などでは、天慶3年(940年)11月21日には住吉神宮寺で藤原純友調伏の祈祷が行われたと見える。その後、天喜元年(1053年)に焼失したが、津守国基による再建で西塔が建立され、承久元年(1219年)には三綱が置かれた。江戸時代の『住吉松葉大記』では、諸堂宇として本堂・東塔・西塔・東法華三昧堂・西常行三昧堂・大日堂・救聞持堂・護摩堂・食堂・東西両僧坊の記載が見える。しかし明治初年の神仏分離で破却・廃寺となり、伽藍のうち護摩堂は境内末社の招魂社本殿に転用されたほか、西塔は切幡寺(徳島県阿波市)に移築された(切幡寺大塔:国の重要文化財)。現在の神宮寺の跡地には住吉文華館が建てられている。 その他の住吉大社関係寺院としては、津守氏氏寺と見られる津守寺(廃寺)・荘厳浄土寺がある。住吉神宮寺・津守寺・荘厳浄土寺は住吉の三大寺に数えられたという。 津守寺(跡地は大阪市住吉区墨江)『中右記』永長元年(1096年)条では、住吉社神主の津守国基が大伽藍を建立したと見える。「住吉社神主并一族系図」によれば、津守氏は神主を勤めたのち晩年に津守寺別当・塔別当になる例であった。明治元年の神仏分離で破却・廃寺。 荘厳浄土寺(大阪市住吉区帝塚山東)住吉大社の東に位置する。創建は不詳。『摂陽群談』によれば、応徳元年(1084年)に住吉社神主の津守国基が勅命によって再興し、その際に土中から出土した金札の銘の「七宝荘厳極楽浄土云々」により寺号を下賜されたといい、永長元年(1096年)に諸堂宇の建立と落慶供養とがなされたという(詳細は「荘厳浄土寺」を参照)。 切幡寺大塔(徳島県阿波市) 津守廃寺跡(大阪市住吉区墨江) 荘厳浄土寺(大阪市住吉区帝塚山東)
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