会津五流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 20:38 UTC 版)
「ちるらん 新撰組鎮魂歌」の記事における「会津五流」の解説
会津藩が天下に誇る“武”の流派。 元浪士組が会津藩に士官を求めた際に、元浪士組の腕前を量るために試合を行う。当初の条件は勝ち越しであったが、土方がそれを不満とし、土方が出した条件は5戦全勝であった。 佐川官兵衛(さがわ かんべえ) 一刀流溝口派師範。 浪士組との最終試合にて土方歳三と対決。互いに防御すること無く、わずか二合の全力の斬り合いをし、佐川が無意識の内に相打ちを一瞬嫌ったことにより敗北する。その後は容保に会津で養生するように言われる。 淀・富ノ森の戦いにて、別撰組を率いて新撰組と共に戦う。その時から近藤から預かり受けた対薩長軍刀・贋作虎徹を使用し闘う。 淀・富ノ森の戦い後は開陽丸にて、斎藤一と共に徳川慶喜と松平容保の護衛として乗船していたところを襲撃に来た、ナーナー・サーヒブとドゥヌを相手とし、ナーナー・サーヒブと交戦する。ウルミの予測不可能な攻撃と慶喜と容保を江戸まで送り届けるため生きようと戦っていたため、苦戦を強いられていたが、容保らからの檄により散ることを恐れなくなり、心臓を狙った攻撃を避けもせずに間合いに入り、ウルミの防御ごとサーヒブを一刀両断し倒した。 望月安久(もちづき やすひさ) 安光流師範。 浪士組との初戦で芹沢鴨と対決。安光流奥義「無上応剣」を繰り出すも芹沢に力で強引に押し込まれ左の鎖骨を砕かれ敗北する。 壬生浪士組結成後の会津藩士を狙った天誅事件の時には、怪我が完治してないにもかかわらず市中見廻りをしていたところ、琴と交戦し右手の指を斬られてしまう。その後は骨折が完治してない左腕一本で木刀を振るう稽古を行なっていた。 黒河内百次郎(くろこうち ももじろう) 真天流締方勤(師範代)。 浪士組との第二試合で沖田総司と対決。沖田に対して自身の武器の疾さで挑むも、沖田総司の自身よりも疾い足さばきと、神速の三連突きの前に敗北する。 柴司(しば つかさ) 神道精武流師範。佐伯只三郎からは剣才は自身よりも上だと言わせる程。 浪士組との第三試合にて永倉新八と対決。最初は新八を圧倒したが新八に剣を見切られてしまい、最後の一刀手で掴まれ指抜きをくらい、殴打され敗北する。 高津仲三郎(たかつ ちゅうさぶろう) 宝蔵院流槍術師範。 浪士組との第四試合にて近藤勇と対決。近藤勇の自身の槍の打突よりも疾い丸太の一降りに圧倒され自身との格の差を実感してしまい、降参する。
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