会津の勢力下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 15:41 UTC 版)
しかし、1172年(承安2年、平安時代後期)に、越後国の豪族であった城氏の城長茂(永用)が、隣接する陸奥国の会津地方(現在の福島県の一部)の有力寺院である慧日寺の僧侶・乗丹坊に、自身の叔母を嫁がせた。そして長茂は現在の東蒲原郡にあたる「小川庄」を慧日寺に寄進し、緊密な関係を結んだ。 これにより東蒲原郡(小川庄)は会津の勢力による支配下に置かれ、また会津の文化圏に属することとなった。 以後700年間弱にわたって同郡は会津の勢力下にあり、1603年(慶長8年)から1868年(慶応4年)にわたる江戸時代においても、本郡の大部分は会津藩の領地であった。
※この「会津の勢力下」の解説は、「東蒲原郡」の解説の一部です。
「会津の勢力下」を含む「東蒲原郡」の記事については、「東蒲原郡」の概要を参照ください。
- 会津の勢力下のページへのリンク