伊那川電力の設立とは? わかりやすく解説

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伊那川電力の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 14:56 UTC 版)

木曽発電」の記事における「伊那川電力の設立」の解説

大正時代後半木曽川本流では木曽電気製鉄その後大同電力によって急速に電源開発進んでいた。同社1919年大正8年)から1923年大正12年)にかけて、桃山須原大桑読書よみかき)・賤母(しずも)の5つ大型水力発電所木曽地域建設する並行して送電線網も整備し、これらの発電所発生電力名古屋・大方面へと送電した。 一方中央製紙1926年大正15年)に樺太工業合併された。合併後樺太工業では北海道樺太といった遠方から原料木材調達するという不利な条件抱え木曽工場不況下で存続するのは不可能と判断し1928年昭和3年7月工場閉鎖踏み切った工場閉鎖際し樺太工業では電気供給事業とその設備売却する方針立てたが、それを受けて大同電力では当時土木課長であった石川栄次郎主導傍系会社伊那川電力」を新設して事業引き受けると決定した新会社伊那川電力株式会社1928年11月19日創立総会開催して発足する資本金200万円で、初代社長には斎藤直武が就任した。この斎藤含め同時大同電力吸収され尾三電力から従業者多く伊那川電力へと転籍している。本社名古屋市東区七間町1丁目1番地置かれた。 1928年12月1日伊那川電力樺太工業より田光発電所橋場水力設備および送配電線・需要家屋内設備電灯取付数3655灯)を引き継ぎ開業した買収価格1175000円であった継承後、伊那川電力ではただちに橋場水力設備全面改修発電所化に着手し、翌1929年昭和4年2月2つ目の発電所となる橋場発電所完成させた。橋場発電所には大同電力送電線引き込まれ、その発生電力田光発電所発生電力とともに大同電力によって名古屋方面へと送電されることとなった

※この「伊那川電力の設立」の解説は、「木曽発電」の解説の一部です。
「伊那川電力の設立」を含む「木曽発電」の記事については、「木曽発電」の概要を参照ください。

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