伊藤敦規とは? わかりやすく解説

伊藤敦規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/26 08:14 UTC 版)

伊藤 敦規(いとう あつのり、1963年5月29日 - )は、愛知県知多市[1]出身の元プロ野球選手投手・右投右打)・コーチ


注釈

  1. ^ 後にルーキーイヤーのみチームメイトとなった[7]
  2. ^ 抽選に漏れた日本ハムは再指名を経て武田一浩明治大学硬式野球部)を獲得した[8]
  3. ^ 死球1個だけの準完全試合だった[10]。なお、同年の二軍戦での成績は2試合登板で2勝0敗0セーブ・防御率0.00である[10]
  4. ^ 投球回数が100回を超えたシーズンは同年が初[12]
  5. ^ 伊藤(防御率3.08/パ・リーグ投手成績は19人中7位)以外に山沖之彦(防御率3.30/投手成績9位)、星野伸之(防御率3.53/投手成績10位)、長谷川滋利(防御率3.55/投手成績12位)[14]。なお、伊藤は同年に初めて規定投球回に到達した。
  6. ^ 山沖は9勝7敗、星野は16勝10敗1セーブ、長谷川は12勝9敗1セーブ[14]
  7. ^ パ・リーグ投手成績14位(規定投球回到達者数は21人)[18]
  8. ^ 二軍イースタン・リーグ)での成績は31試合登板・3勝5敗5セーブ・防御率3.80[29]
  9. ^ 1997年版の『ホームラン』(日本スポーツ出版社)および日刊スポーツ出版社の選手名鑑(1997年版)では(1997年の年俸は)1,700万円とされているが[29][32]、日刊スポーツ出版社 (1998) では1,500万円とされている[33]
  10. ^ 対戦成績はそれぞれ、古田とは5打数2被安打(被打率.400)、池山とは7打数4被安打(被打率.571)、真中とは6打数4被安打(被打率.667)だった[38]
  11. ^ 遠山に次ぐチーム2番目の登板数[40]
  12. ^ 日刊スポーツ出版社 (2000) では(2000年シーズンの年俸は)5,200万円とされている[43]
  13. ^ 江川 (1999) は「アンダースロー投手」と述べている[38]
  14. ^ 横浜時代の選手別応援歌「伊藤敦規のテーマ」(ポニーキャニオンから発売された1995年版・1996年版の選手別応援歌CDアルバムに収録)では「サイドスロー」と歌われている[53]。また、フジテレビプロ野球ニュース』監修の2000年版選手名鑑(発行:ザ・マサダ)では「サイドスロー・右投げ」として掲載されている[39]
  15. ^ 伊藤本人も1998年ごろには先発を志願していた[54]

出典

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  2. ^ a b c d e f 後藤正治【2001年7月6日】 ■<闘いの風景> 阪神投手 伊藤 敦規 解雇・テスト入団、今も磨く投球術(7月6日)」『日経ネット関西版日本経済新聞大阪本社、2001年7月6日。オリジナルの2002年3月14日時点におけるアーカイブ。
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  4. ^ 中日浅尾うれしい“知多ファイブ”」『日刊スポーツ日刊スポーツ新聞社、2012年12月9日。2020年4月24日閲覧。オリジナルの2020年4月24日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ (2ページ目)高校とプロで立場が“逆転”した同期は? 控えが「ドラ1のエース」より圧倒的に出世も”. AERA dot. (アエラドット) (2023年8月9日). 2023年8月9日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 「'88プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第12巻第4号(通算:第116号 / 1988年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、1988年3月31日、105頁。 
  7. ^ a b c d 中日新聞』1993年12月8日夕刊二面2頁「ゆうかんさろん/ 山田コーチの下、来季の奮闘誓う」(中日新聞社
  8. ^ a b 中日新聞』1988年11月18日夕刊第一社会面9頁「中日、上原沖縄水産高)を三位指名 ヤクルトは長島二世 広島は川島 ドラフト会議 また強運、星野監督 相思相愛 立浪君「感激です」 1位指名」(中日新聞社
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  12. ^ a b 「'91プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第15巻第4号(通算:第150号 / 1991年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、1991年3月31日、125頁。 
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  16. ^ a b c d ホームラン 1993, p. 53.
  17. ^ a b 「'94プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第18巻第5号(通算:第191号 / 1994年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、1994年3月31日、138頁。 
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  19. ^ a b c 毎日新聞』1992年12月28日東京朝刊第一スポーツ面17頁「プロ野球だより/27日 オリックス 伊藤敦規投手が4200万円で契約更改」(毎日新聞東京本社
  20. ^ 毎日新聞』1992年12月11日東京朝刊第一スポーツ面21頁「プロ野球だより/10日 オリックス 伊藤敦規、『契約更改に代理人を』」(毎日新聞東京本社
  21. ^ a b c d 江川卓二宮清純『江川卓・スカウティングレポート'98』ザ・マサダ〈第1刷発行〉、1998年3月25日、151頁。ISBN 978-4915977572 
  22. ^ a b c d 「'95プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第19巻第3号(通算:第202号 / 1995年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、1995年3月15日、94頁。 
  23. ^ 『毎日新聞』1994年11月12日東京朝刊第一スポーツ面21頁「[プロ野球だより]11日 オリックスの伊藤敦規投手、トレードで横浜へ」(毎日新聞東京本社)
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  25. ^ a b 『毎日新聞』1994年11月12日東京夕刊第一スポーツ面21頁「[プロ野球だより] 11日 オリックスの伊藤敦規投手、トレードで横浜へ」(毎日新聞大阪本社)
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  31. ^ a b 『毎日新聞』1996年12月6日東京朝刊第一スポーツ面27頁「[プロ野球だより]5日 阪神 テスト5選手が入団」(毎日新聞東京本社)
  32. ^ a b 『'97プロ野球選手写真名鑑』日刊スポーツ出版社〈日刊スポーツグラフ〉、1997年4月20日、133頁。ISBN 978-4817250247 
  33. ^ 『'98プロ野球選手写真名鑑』日刊スポーツ出版社〈日刊スポーツグラフ〉、1998年4月18日、48頁。ISBN 978-4817205421 
  34. ^ a b 「'98プロ野球 12球団全選手百科名鑑」『ホームラン』第22巻第4号(通算:第236号 / 1998年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、1998年3月31日、83頁。 
  35. ^ プロ野球ニュース 1999, p. 104.
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  38. ^ a b c d e f g 江川卓、二宮清純『江川卓・スカウティングレポート'99』ザ・マサダ〈第1刷発行〉、1999年3月25日、176頁。ISBN 978-4915977848 
  39. ^ a b c d e f フジテレビ『プロ野球ニュース』『プロ野球ニュース イヤーブック 選手名鑑2000』(第1刷発行)ザ・マサダ、2000年4月1日。ISBN 978-4883970148 
  40. ^ a b c d 「完全保存版 プロ野球セ・パ両リーグ 12球団全選手カラー百科名鑑2000」『ホームラン』第24巻第3号(通算:第252号 / 2000年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、2000年3月31日、105頁。 
  41. ^ 『毎日新聞』1999年9月13日大阪夕刊スポーツ面6頁「プロ野球 阪神の伊藤敦規投手、骨折」(毎日新聞大阪本社)
  42. ^ a b 江川卓、二宮清純『江川卓・スカウティングレポート2000』ザ・マサダ〈第1刷発行〉、2000年3月7日、175頁。ISBN 978-4883970117 
  43. ^ a b 『2000年 プロ野球選手写真名鑑』日刊スポーツ出版社〈日刊スポーツグラフ〉、2000年4月17日、130頁。ISBN 978-4817250797 
  44. ^ a b 「完全保存版 プロ野球セ・パ両リーグ 12球団全選手カラー百科名鑑2001」『ホームラン』第25巻第2号(通算:第258号 / 2001年3月号増刊)、日本スポーツ出版社、2001年3月31日、105頁。 
  45. ^ 野村克也監督からもらった封筒は宝物 阪神元投手の伊藤敦規さん別れ悼む」『福井新聞ONLINE』福井新聞社、2020年2月12日。オリジナルの2020年10月30日時点におけるアーカイブ。
  46. ^ a b https://weblog.hochi.co.jp/hiruma/2009/05/post-3ae7.html
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  50. ^ 『毎日新聞』2002年10月12日大阪朝刊第二スポーツ面18頁「[プロ野球] 14日に阪神・星野伸之投手らの引退セレモニー」(毎日新聞大阪本社)
  51. ^ 『朝日新聞』2004年11月17日大阪朝刊兵庫県第二地方面25頁「往年の名選手集い『マスターズリーグ』 明石で大阪-札幌 /兵庫」(朝日新聞大阪本社・神戸総局)
  52. ^ a b 阪神 浜中、伊藤コーチの退団を発表「もう少し勉強したいということでした」」『Sponichi Annex』スポーツニッポン新聞社、2019年10月15日。2020年10月30日閲覧。オリジナルの2020年10月30日時点におけるアーカイブ。
  53. ^ 「伊藤敦規のテーマ」 - 『横浜ベイスターズ '95選手別応援歌』(ポニーキャニオン:1995年4月5日発売/EAN 4988013586031、トラック#8)および『横浜ベイスターズ '96選手別応援歌』(ポニーキャニオン:1996年4月3日発売/EAN 4988013731936、トラック#9)より。
  54. ^ 『'99プロ野球選手写真名鑑』日刊スポーツ出版社〈日刊スポーツグラフ〉、1999年4月13日、58頁。ISBN 978-4817250582 
  55. ^ プロ野球ニュース 1999, p. 107.
  56. ^ 月刊タイガース』2000年5月号、45ページ(阪神タイガース発行)


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