玉井栄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 09:43 UTC 版)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1918年5月26日 |
| 没年月日 | 1953年6月(満35歳没) |
| 身長 体重 |
173 cm 68 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1937年 |
| 初出場 | 1937年3月27日[1] |
| 最終出場 | 1938年11月15日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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玉井 栄(たまい さかえ、1918年5月26日 - 1953年6月)は福岡県出身のプロ野球選手。
来歴・人物
旧制小倉工業(現:福岡県立小倉工業高等学校)では、エースとして1934年の第11回選抜中等学校野球大会・第20回全国中等学校優勝野球大会、1935年の第12回選抜中等学校野球大会、1936年の第13回選抜中等学校野球大会・第22回全国中等学校優勝野球大会の計5回に出場した[2]。
強打者として注目を集め、巨人とタイガースの争奪戦となったが、最終的には大橋棣の仲介により、大阪タイガースに入団[3][4]。期待は高かったが、景浦將、山口政信、藤井勇などが揃った外野陣の牙城を崩せず、1938年末に召集され退団。中国戦線ではタイガース時代の同僚だった本堂保次との再会もあったが[5]、のちビルマ戦線で足を負傷[3]。1943年末に復員するが、チームへは復帰しなかった[6]。戦後も球界には復帰せず、九州電力に就職[2]。しかし、1953年6月に発生した昭和28年西日本水害の際、感電死した[2]。享年35。
先述の通り、第一次長沙作戦にて本堂保次と再会しているが、本堂は後年このことに関して振り返った際に玉井の印象について「堂々とした見習士官だった」と語っている[7]。一方で、本堂は玉井が戦場から帰還してこないことを聞かされたと回想しているが、再招集された可能性があるとはいえ、実際は戦後も無事生存している[7]。
2019年、玉井が受賞したブロンズ像が遺族によって母校に寄付された[2]。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1937春 | 大阪 | 20 | 26 | 20 | 4 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 2 | -- | 0 | -- | 6 | -- | 0 | 4 | -- | .100 | .308 | .200 | .508 |
| 1937秋 | 15 | 13 | 12 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | -- | 1 | -- | 0 | -- | 0 | 4 | -- | .250 | .250 | .250 | .500 | |
| 1938春 | 8 | 14 | 12 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | 2 | -- | 1 | -- | 1 | -- | 0 | 2 | -- | .333 | .385 | .417 | .801 | |
| 1938秋 | 8 | 8 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 0 | -- | 1 | -- | 0 | 2 | -- | .143 | .250 | .143 | .393 | |
| 通算:2年 | 51 | 61 | 51 | 7 | 10 | 1 | 1 | 0 | 13 | 2 | 4 | -- | 2 | -- | 8 | -- | 0 | 12 | -- | .196 | .305 | .255 | .560 | |
背番号
- 26 (1937年 - 1938年)
関連項目
脚注
- ^ 1937年春 大阪タイガーススタメンアーカイブ
- ^ a b c d “戦前甲子園の個人賞寄贈 創部100年 母校の小倉工へ”. 日本経済新聞. (2019年9月10日) 2020年2月26日閲覧。
- ^ a b げんまつWEBタイガース歴史研究室(玉井栄のページ)
- ^ 松木謙治郎『タイガースの生いたち』恒文社、1973年。
- ^ 『ベースボールマガジン 7月号』ベースボール・マガジン社、1952年、82-91頁。
- ^ 大井廣介『タイガース史』ベースボール・マガジン社、1958年。
- ^ a b 鈴木明『昭和20年11月23日のプレイボール』集英社、1987年、220頁。
固有名詞の分類
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