伊藤あしゅら紅丸とは? わかりやすく解説

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伊藤あしゅら紅丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 01:44 UTC 版)

いとう あしゅら べにまる

伊藤あしゅら紅丸
生誕 (1950-12-25) 1950年12月25日(74歳)
東京都文京区
職業 漫画家
イラストレーター
CGクリエイター
ギター・アナリスト
ミュージシャン
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伊藤 あしゅら 紅丸(いとう あしゅら べにまる、1950年12月25日 - )は、日本漫画家イラストレーターCGクリエイター、ギター・アナリスト、ミュージシャン。肩書きは多数。元クリーチャーズ取締役ゲーム業界のみならず、アニメ漫画など様々な分野に精通し、広い人脈を持つ。自らを“業界の”と評す。豹柄をこよなく愛す。

概要

1950年東京都文京区生まれ。

高校生の頃から漫画イラストを発表し、それからもずっと漫画家イラストレーターとして活躍している。

糸井重里が社長を務めていたエイプ制作の攻略本にイラストレーターとして参加。 その後、Nintendo of Americaが発行しているゲーム誌『NINTENDO POWER』で『スターフォックス』や『スーパーメトロイド』の漫画を連載。さらにこの頃、スーパーファミコン用ソフト『マリオペイント』にハマって、クオリティの高い作品を数多く作り、それが石原恒和に目に留まってゲーム制作に携わるようになる。ゲーム制作で最初に関わった作品は『サウンドファンタジー』。

エイプが休眠状態に陥って以降は、石原恒和と共にクリーチャーズの発起メンバーとなり、自身は取締役に就任した。

クリーチャーズでは、モデリングチームのディレクターとして、『ポケモンスタジアム』シリーズのモデリングアニメポケットモンスター』のエンディングCGを手掛けた。

2000年秋からアメリカのいくつかの新聞に、ポケモン四コマ漫画を連載。

この漫画は、小学館の米国子会社Viz Communicationsによって、全米で20紙以上の新聞に配給され、その合計発行部数は1200万部以上にもなる。2001年に開業したPokemonCenter NYコンセプトデザインも担当。

2002年にクリーチャーズを新社長田中宏和により解雇。

その後『星のカービィ 夢の泉デラックス』や『カービィのエアライド』の開発に参加、ハル研究所の開発ソフトに携わる。

現在は、ゲーム開発会社数社のアートディレクションを務めながら、フリーランスとして活動。作品のテイストは玉石混交、融通無碍。

『森羅万象、古今東西のテイストを自家薬籠に採り入れ、自分のものとしてアウトプットしたいと常に願っている。』とは、本人談である。

デヴィッド・リンドレーやジェニ・マルダーなどの海外アーティストのアルバムジャケットデザインや、公演ポスターなどの音楽関係のアート作品を中心に描くと同時にバンド活動も積極的に展開している。

略歴

作品

ゲーム関連

関連項目

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