以蔵の自白により窮地にとは? わかりやすく解説

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以蔵の自白により窮地に

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 13:56 UTC 版)

武市瑞山」の記事における「以蔵の自白により窮地に」の解説

以蔵自白によって新たな逮捕者が相次ぎ半平太らに対す取調べ厳しさ増していった。半平太の実弟田内衛吉は監察府による厳し拷問に耐えかねてついに自供始めてしまい、更なる自白恐れて服毒自殺島村衛吉拷問死した。また、上士である自身に対して拷問が行われることを覚悟した半平太は、これが現実になれば、獄中生活による衰弱相まって拷問に耐えきれず自白してしまう可能性憂慮し自殺用の毒を自身にも調達するよう外部依頼している。獄内外の同志は、なおも自白続け以蔵存在事態をさらに悪化させる事を恐れ、彼らの間で以蔵毒殺する(あるいは、半平太の実弟同様の服毒自殺促す計画浮上した。 この以蔵毒殺計画に関しては、後年小説ドラマ等の創作影響から、保身走った半平太が以蔵自白恐れ、獄外の同志指令発して以蔵毒殺計画実行したため、以蔵がこれに憤怒し、半平太に対す憤りから自白重ねたとする風説流布されている。しかし、「武市瑞山獄中書簡」の編註者である横田達雄の研究によれば前述通り以蔵早々拷問屈して自白重ねた事、半平太は同志間で持ち上がった強引な以蔵毒殺計画には反対し、以蔵実家からの承諾優先させた事、以蔵実家から承諾得られないまま獄が結審迎えたため、最終的に毒殺計画実行移されていない事が判明している。さらに以蔵本人は、自身自白によって同志らが一層厳し境遇追いやられた事を後悔し以後取調べにおいては自身自白内容について曖昧にボカすなどしていた事も判明している。 以蔵ら4名の自白はあったものの、半平太らが一連の容疑否認し続けたため、監察府半平太や他の勤王党志士罪状明確に立証するまでには至らなかった。そして慶応元年5月11日1865年7月3日)、業を煮やした容堂の御見付(証拠によらない一方的罪状認定)により「主君対す不敬行為」という罪目で、半平太は切腹命じられる岡田以蔵久松喜代馬、村田三郎岡本次郎自白組4名は斬首、その他は9名が永牢、2名が未決、1名が御預け決まった半平太ら勤王党志士一連の容疑頑なに否認したことで、死刑盟主である半平太の切腹以蔵自白組4名の斬首のみとなり、獄外同志その他協力者への連累食い止められた。 即日刑が執行され以蔵ら4名は獄舎斬首切腹命じられ半平太は体を清めて正装し同日20時頃、南会所大広庭にて、未だ誰も為しえなかったとさえ言われてきた三文字割腹の法を用いて法式通り腹を三度かっさばいた後、前のめりになったところを両脇から二名介錯人心臓を突かせて絶命した。享年37(満35歳没)。 辞世の句は、 ふたゝびと 返らぬ歳を はかなく今は惜しまぬ 身となりにけり であった

※この「以蔵の自白により窮地に」の解説は、「武市瑞山」の解説の一部です。
「以蔵の自白により窮地に」を含む「武市瑞山」の記事については、「武市瑞山」の概要を参照ください。

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