代表的な商家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/05 14:43 UTC 版)
坂口家 詳細は「坂口平兵衛 (2代)#家族・親族」を参照 宮本家 “宮本氏”は日野郡俣野村から尾高町に移り住んだ。宮本氏は奈良県を本拠とし菅原姓で、柳生氏と同系の家柄である。戦国時代に村上新二郎元秀が因伯で活躍、但馬山名氏、周防大内氏、安芸毛利氏に仕えた。後に香原山城主となって、姓を福頼と改めた。元秀の次男吉蔵は、備後国小可郷の宮本に居住し、宮本を名乗るようになった。米子に出てからの商売内容は不明であるが、鉄や穀物に関わり、後には綿問屋もやったようである。安永2年(1773年)6月13日付、藩の「在方諸事控」に会見郡の日野川から境村までの間の繰綿取引について、陸運、海運とも、このたび米子町の宮本助右衛門、大谷角三郎両人を改め役に任命し、両人が規定の運上銀を取り立てて藩に支払いするように命じている。 村上家 “村上氏”の尾高町居住はいつごろからであるかよく分からない。新小路に藍製座が開設され、藩の産物方は村上安右衛門を藍製座の元方に任命しているから、そのころ現地に居を構えて、元方のことに当たったようである。明治初年尾高町表通りに移り、書籍、文房具などの商いをした。米子で最初の郵便局(駅逓行局)を引き受けたのが明治7年(1874年)である。明治22年(1889年)に西倉吉町に郵便局が開設されるまで村上氏が郵便事務を続け、明治中期以後は、営業も活版印刷、銀行代理店、度量衡店、茶、茶道具店と変わった。村上家は近世以来学問、文学への素養があり、幕末期には遠近の文人墨客の来游者と交歓を重ねた。
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