だいすうてきせいすうろん【代数的整数論】
だいすうてき‐せいすうろん【代数的整数論】
代数的整数論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/11 04:27 UTC 版)
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代数的整数論(だいすうてきせいすうろん、英: algebraic number theory)は数論の一分野であり、抽象代数学の手法を用いて、整数や有理数、およびそれらの一般化を研究する。数論的な問題は、代数体やその整数環、有限体、関数体のような代数的対象の性質のことばで記述される。これらの性質は、例えば環において一意分解が成り立つかとか、イデアルの性質、体のガロワ群などであるが、ディオファントス方程式の解の存在のような、数論において極めて重要な問題を解決することができる。
代数的整数論の歴史
ディオファントス
代数的整数論の始まりはディオファントス方程式までさかのぼることができる[1]。これは3世紀のアレクサンドリアの数学者ディオファントスに因んで名づけられたもので、彼はそれを研究し、ある種のディオファントス方程式を求める手法を発達させた。典型的なディオファントス問題は、2つの整数 x と y であって、それらの和とそれらの平方の和が与えられた2つの数 A と B にそれぞれ等しくなるようなものを見つけることである:
- A = x + y,
- B = x2 + y2.
ディオファントス方程式は数千年の間研究されてきた。例えば、二次のディオファントス方程式 x2 + y2 = z2 の解はピタゴラスの三つ組によって与えられ、初めはバビロニア人ら (c. 1800 BC) によって解かれた[2]。26x + 65y = 13 のような線型ディオファントス方程式の解は、ユークリッドの互除法 (c. 5th century BC) を用いて見つけることができる[3]。
ディオファントスの主な仕事は Arithmetica であったが、一部分しか残っていない。
フェルマー
フェルマーの最終定理は最初ピエール・ド・フェルマーによって1637年に予想された。Arithmetica のコピーの余白に、余白が狭すぎて書ききれない証明を持っていると彼が主張したことは有名である。358年間の数学者の不断の努力にもかかわらず、1995年まで完全な証明が出版されなかった。未解決だった問題は19世紀の代数的整数論の発展と20世紀のモジュラー性定理の証明を刺激した。
ガウス
代数的整数論を創始した仕事の1つ、Disquisitiones Arithmeticae(ラテン語で「算術研究」)は、カール・フリードリヒ・ガウスによって1798年にラテン語で書かれた整数論の教科書である[4].当時ガウスは21歳であり、初出版は24歳の1801年であった。この本においてガウスは、フェルマー、オイラー、ラグランジュ、ルジャンドルなどの数学者によって得られた整数論の結果をまとめ、彼自身による重要な新しい結果を加えた。Disquisitiones が出版される前は、整数論は孤立した定理と予想の集まりからなっていた。ガウスは先駆者の研究と自身の独自の研究を系統的な枠組みに収め、ギャップを埋め、あやふやな証明を正し、おびただしい方法で主題を拡張した。
Disquisitiones は、エルンスト・クンマー、ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレ、リヒャルト・デデキントを含む、19世紀のヨーロッパの他の数学者たちの研究の開始点だった。ガウスによって与えられた注釈の多くは実質、彼自身のさらなる研究の告知であったが、出版されないままだったものもある。それらは当時の人々にとってとりわけ謎めいて見えたに違いない。今では我々はそれらを特に L 関数と虚数乗法の理論の萌芽を含んでいると読み取ることができる。
ディリクレ
1838年と1839年の2つの論文において、ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレは二次形式に対する最初の類数公式を証明した(後に彼の学生クロネッカーによって精密化された)。この公式は、ヤコビが「人間の洞察力の最大限に触れる (touching the utmost of human acumen)」結果と呼んだが、より一般の数体に対する類似の結果への道を拓いた[5].彼は二次体の単数群の構造の研究に基づいてディリクレの単数定理という代数的整数論における基本的な結果を証明した[6]。
彼は初めて基本的な数え上げの議論である鳩の巣原理を用いて、後に彼の名に因んでディリクレの近似定理と呼ばれることになるディオファントス近似の定理を証明した。彼は n = 5 と n = 14 の場合を証明したフェルマーの最終定理と四次の相互法則への重要な貢献を出版した[5]。ディリクレの因子問題は、彼が最初の結果を見つけたが、他の研究者たちによる後の貢献にもかかわらず、いまだに数論における未解決問題である。
デデキント
リヒャルト・デデキントのルジューヌ・ディリクレの研究の研究は、代数体とイデアルの彼の後の研究に彼を導いたものであった。1863年に彼は数論に関するルジューヌ・ディリクレの講義をVorlesungen über Zahlentheorie(『整数論講義』)として出版した。この本について次のように書かれている。
"Although the book is assuredly based on Dirichlet's lectures, and although Dedekind himself referred to the book throughout his life as Dirichlet's, the book itself was entirely written by Dedekind, for the most part after Dirichlet's death." (Edwards 1983)
Vorlesungen の1879年と1894年の版は環論で基本的なイデアルの概念を導入する補遺を含んだ(環 (Ring) という単語は後にヒルベルトによって導入され、デデキントの仕事には現れない)。デデキントはイデアルを、数の集合の部分集合であって、整数係数の多項式方程式を満たす代数的整数からなるものとして定義した。概念はヒルベルトと特にエミー・ネーターの手によってさらなる発展がもたらされた。イデアルはフェルマーの最終定理を証明しようとしたエルンスト・エドゥアルト・クンマーの1843年の試みの一部として考案された理想数を一般化する。
ヒルベルト
ダヴィット・ヒルベルトは代数的整数論の分野を彼の1897年の論文Zahlbericht(文字通りには「数の報告」)で統一した。彼はまた1770年にウェアリングによって定式化された重要な数論の問題を解決した。有限性定理と同様、彼は答えを得るメカニズムを与えるのではなく問題に解が存在しなければならないことを示す存在証明を用いた[7]。彼はその後その主題についてほとんど出版しなかった。しかし、学生の学位論文でのヒルベルトモジュラー形式の出現は彼の名が主要な分野にさらに付いていることを意味する。
彼は類体論に関する一連の予想をたてた。構想は非常に影響的で、彼自身の貢献はヒルベルト類体と局所類体論のヒルベルト記号の名前に生き続けている。結果は高木貞治による研究の後1930年までにはほとんど証明された[注 1]。
アルティン
エミル・アルティンは一連の論文 (1924; 1927; 1930) でアルティンの相互法則を証明した。この法則は大域類体論の中心的な部分をなす数論における一般的な定理である[8]。用語「相互法則」はその一般化のもととなったより具体的な数論の主張の長い列を指す。平方剰余の相互法則やアイゼンシュタインやクンマーの相互法則から、ノルム記号に対するヒルベルトの積公式まで。アルティンの結果はヒルベルトの第9問題への部分的な解答を与えた。
現代理論
1955年頃、日本人数学者志村五郎と谷山豊は2つの一見全く異なる数学の分野、楕円曲線とモジュラー形式の間につながりがあるかもしれないことを観察した。結果のモジュラー性定理(志村・谷山予想)は、すべての楕円曲線はモジュラーである、つまり一意的なモジュラー形式に付随できる、という主張である。
それは当初ありそうもないあるいは非常に不確かとして受け入れられず、数論学者アンドレ・ヴェイユがそれを支持する証拠を見つけた時より真剣に受け止められたが、証明はなかった。結果として「驚異的」("astounding"[9]) な予想は谷山・志村・ヴェイユ予想としばしば呼ばれた。それは証明や反証を要する重要な予想の一覧であるラングランズ・プログラムの一部となった。
1993年から1994年、アンドリュー・ワイルズは半安定な楕円曲線に対してモジュラー性定理の証明を与え、リベットの定理とあわせてフェルマーの最終定理の証明が与えられた。当時ほとんどすべての数学者はフェルマーの最終定理とモジュラー性定理はともに、最先端の発展が与えられてさえ、不可能かあるいは実質的に不可能であると以前は考えていた。ワイルズは1993年6月に彼の証明を最初に発表したが[10]、すぐに重要な点で深刻なギャップがあると認識された。証明はワイルズと、部分的にリチャード・テイラーとの共同研究で、訂正され、最終的な広く受け入れられるバージョンが1994年11月に発表され、正式には1995年に出版された。証明は代数幾何と数論の多くの技術を用い、数学のこれらの分野において多くの副産物を持つ。証明はまた、スキームの圏や岩澤理論や、フェルマーには利用可能でなかった他の20世紀の技術のような、現代的な代数幾何の標準的な構成を用いる。
基本的な概念
一意分解が成り立たないこと
(有理)整数環の重要な性質は、それが算術の基本定理を満たすこと、つまり任意の(正の)整数は素数の積への分解を持ち、この分解は因子の並べ替えの違いを除いて一意的であるということである。これは代数体 K の整数環 O においては一般にはもはや正しくない。
素元とは O の元 p であって、p が積 ab を割り切るならば因子 a か b の一方を割り切るもののことである。この性質は整数の素数性と密接に関係する。なぜならばこの性質を満たす任意の正の整数は 1 か素数だからである。しかし、素元の方が真に弱い。例えば、−2 は負だから素数ではないが、素元である。素元への分解を許せば、整数においてさえ、
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