谷山豊とは? わかりやすく解説

谷山豊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 16:21 UTC 版)

谷山 豊(たにやま とよ〈ゆたか〉[注釈 1]1927年昭和2年〉11月12日 - 1958年〈昭和33年〉11月17日)は、日本の数学者理学博士


注釈

  1. ^ 名前は本来「とよ」と読むのが正しいが、「ゆたか」と読む人が多かったので、いつからか自ら「ゆたか」と名乗るようになったという[1]。そのため世界的には「ユタカ・タニヤマ(Yutaka Taniyama)」の名前で知られている。
  2. ^ 遺書は前記引用部分に続いて、図書館や知人から借りた本や研究室の鍵、研究資料や私物などの処分、金銭関係(預金通帳の置き場所、未だ受け取っていない仕事の報酬や未払いのガス代)、大学での講義の進行状況について記され、末尾は「いずれにせよ、駒場の方々にかなり御迷惑をお掛けすることになるのをお詫びしたい。」と結ばれている[5]
  3. ^ 谷山の突然の死にショックを受け、遺族に頼み込んで彼の背広を譲り受けている。鈴木の遺体が発見された時、傍には譲り受けた谷山の背広があったという[9]

出典

  1. ^ 杉浦光雄「谷山豊の生涯」、『谷山豊全集』新版 p.359
  2. ^ 早世の数学者、生涯たどる 「フェルマーの最終定理」証明に寄与 「加須市の偉人・谷山豊展」 /埼玉”. 2023年12月25日閲覧。
  3. ^ CiNii博士論文 - Jacobian varieties and number fields”. 国立情報学研究所. 2017年7月15日閲覧。
  4. ^ a b 「谷山東大助教授が自殺 数学界の権威 “自信失った”と遺書」、読売新聞1958年11月17日付夕刊(東京本社版)、5頁
  5. ^ a b 「遺書」、『谷山豊全集』新版 p.324
  6. ^ 『官報』第9596号 本紙「叙任及び辞令」(1958年12月15日)
  7. ^ 「年譜」、『谷山豊全集』新版 p.379
  8. ^ S・シン 2006, p. 295.
  9. ^ a b 西條 2016, p. 185.
  10. ^ 西條 2016, p. 141.
  11. ^ a b 足立 2006, pp. 311 f
  12. ^ a b 足立 2006, p. 312
  13. ^ a b 谷山豊ほか「問題」『数学』第7巻第4号、1956年、268–272頁、doi:10.11429/sugaku1947.7.268 
  14. ^ 足立 2006, pp. 312 f
  15. ^ a b c 「谷山豊再び注目 「フェルマーの最終定理」証明に道筋」、朝日新聞1993年11月16日付夕刊(東京本社版)、3頁
  16. ^ S・シン 2006, p. 276-277.


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