谷山・志村・ヴェイユ予想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:54 UTC 版)
「ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明」の記事における「谷山・志村・ヴェイユ予想」の解説
当時フェルマーの最終定理とは関連しないと考えられていた議論にて、1950-60年代の日本の数学者である志村五郎が同じく日本の谷山豊から着想を得て、当時研究されていた最先端の数学的概念である楕円曲線とモジュラー形式が(両者は全く異なる概念であると考えられていたにも関わらず)互いにつながりを持っている可能性があるという予想を唱えた。 谷山と志村が提出したこの予想はこれら2つの数学的概念が実際は数学的に同じものであり、見方が異なるだけであるというものであった。谷山と志村の予想は「すべての有理数体上に定義された楕円曲線はモジュラーであろう」ということを述べており、後に谷山・志村予想として知られるようになった。西洋においてはこの予想がアンドレ・ヴェイユの1967年の論文によって広く知られるようになったため、しばしば谷山・志村・ヴェイユ予想と呼ばれている。 1980年頃までには楕円曲線の予想を構成するための多くのエビデンスが積み上げられていた。これらの予想は広く真であると考えられていたが何らかの確たる証拠があったわけではなく、(これらの予想が真ならば)理論的に素晴らしく首尾一貫したものであり、なおかつ魅力的な数学的概念を提示するがために広く真であると信じられていた。予想の一部は間違っている可能性もあった。 当時、谷山・志村予想には証明が存在せず、証明に至るアプローチを見つけることすら絶望視されていた。このような背景もあり、証明あるいはそれに至るアプローチの発見すら絶望視されたまま谷山・志村予想は数学上の重要な未解決問題として数十年残り続けた。 谷山・志村によってはじめて予想が発表されてからおよそ50年後、ワイルズの研究の成果により状況が大きく進展してようやく証明され、この予想は現在モジュラリティ定理として知られている。
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