他社の取り込み・人の囲い込み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:00 UTC 版)
「PlayStation (ゲーム機)」の記事における「他社の取り込み・人の囲い込み」の解説
発売時には「全てのゲームは、ここに集まる」のキャッチフレーズを使っていたが、開発時は任天堂の黄金時代であり、3Dという未知のソフト開発に取り組まなければならないことから、サードパーティーや人材の育成・発掘は必要不可欠だった。 ソフト会社との関係 ソニーがMSXで一度はゲームビジネスから他社よりも早く撤退し、他社に対して救済をしなかった過去から、ソフト会社は参入に難色を示していたが、丸山は「ゲーム開発をしていたSMEが依頼に来たことでゲームメーカーは話を聞いてくれた」と語っている。ただ、久夛良木とともに全国のソフト会社を訪ねた際の反響は芳しくなかった。 しかし、1993年末、セガがアーケードゲーム『バーチャファイター』を発表し、3Dゲームの可能性を体現した直後から難色を示していたソフト会社が興味を持つようになった。 格安の開発機材と独自ライブラリ 幅広くサードパーティーを招き入れようと、150万円という安価で開発機材を提供したことで、新興ゲームメーカーが多数参入した。また、サードパーティーのプログラマの負担を軽減するため、SCEでプログラムのライブラリを構築して開発者の支援を試みた。当初このプログラムのライブラリは自分たちでプログラムを組みたがっていた技術者からは不評だったが、後に非常に便利なものであると認識されるようになり、続々とサードパーティーが参入するようになり、1994年夏には契約したサードパーティは200社を越えた。 クリエイターの発掘 レコード会社の発想で、ゲームクリエーターをアーティスト的存在として扱い、ゲーム誌では積極的に開発者のインタビューを乗せるようになった。アマチュアからクリエイターを発掘しようと、一般向けの開発環境「ネットやろうぜ!」を販売し、これとは別に「ゲームやろうぜ!」というゲームクリエイター志望者を一般から募集していた。ユーザーの意見をメーカーやショップに直接伝える事で、ゲームを開発する上での主要な材料として扱うところも少なくなかった。 プレイステーション本体と携帯電話を専用通信ケーブルで接続して、メモリダイヤルや着信メロディの編集を行ったり譜面上でオリジナルの着メロを作成する機能を持った携帯エディターソフト、「ケータイ・エディ」 が2000年7月27日にインクリメントPから発売されている。また、オーケストラの指揮者となりバトン・コントローラーの振り方で演奏の評価が変わる体感音楽ゲーム『ザ・マエストロムジーク』が2000年7月27日にグローバル・A・エンターテイメントから発売された。 レコード会社が出資して設立されたSCEでは、プレイステーションでアーティストとレコード会社が一致協力して音楽を作る手法をゲームソフト制作も取り入れ、ライブラリ提供やゲームやろうぜなどでソフト会社やクリエーターを育てようとしたと言われる。 人材発掘 ソニー・ミュージック・エンターテイメントは1993年から"デジタル・エンターテイメント・プログラム"を開催していた。これはデジタルアーティストのオーディションを意味するもので応募資格に制限がなく、入選した人には育成を支援するプログラムが与えられることになっていた。入選者はワークステーションやプレイステーションの開発機材が提供され、そこで様々な学習が可能であり、コンテストは才能のある人材を一般から発掘して、自分たちで育成していこうという試みを持っていた。 ユーザーの囲い込み ゲームの体験版や最新デモ映像などを盛り込んだCD-ROMを年に数回発行する有償会員サービス「PlayStation CLUB」を1995年より運営していた。発行物以外にはゲームイベントの優先入場権、独自開催イベントへの参加権などの特典もあった。
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