今後の課題-保全と「ワイズユース」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:58 UTC 版)
「糸魚川のヒスイ」の記事における「今後の課題-保全と「ワイズユース」」の解説
糸魚川地方に限らず、日本国内でのヒスイ産地は天然記念物として保護の対象にしているところがよくみられる。しかし、その指定があっても盗掘事件がたびたび発生している。 青海川ヒスイ峡では、20世紀末の1998年(平成10年)と1999年(平成11年)に規模の大きな破壊と盗掘が発生した。そのため文化庁との協議の結果、被害に遭ったヒスイのうち重量102トンと46トンの原石を移動し、翡翠ふるさと館内(糸魚川市親不知)と青海総合文化会館(糸魚川市大字青海)の前でそれぞれ保存することになった。 宮島宏はヒスイの盗掘について自著『翡翠ってなんだろう2019』(2019年)において、「このようなことが今後も続けば、糸魚川市の河原や海岸で見つかる翡翠はどんどん減ってしまうことでしょう。(中略)未来の人も楽しみ、学ぶことができるように、手で持てないような大きな翡翠の不法な採取はやめましょう」と警告した。さらに宮島は『日本の国石「ひすい」-バラエティーに富んだ鉱物の国-』(2019年)で持続可能な活用の考えとして、「ワイズユース」(賢明な利用)を紹介した。宮島はワイズユースの考えをヒスイ保護に適用して、十分な保護と活用の対策がなされた上でのヒスイ探しは人々に楽しみをもたらすだけではなく、地元への経済効果も期待でき、将来にわたって持続可能となると指摘した。 かつて糸魚川駅に近い海岸は砂利浜で、広大な面積を利用して子供たちが野球に興じるほどであった。この砂利浜には、姫川から流下したり日本海の波に打ち上げられたりしたヒスイが存在した。その後砂利浜の面積は年々狭くなり、テトラポッドが設置されたために波打ち際に近づくことさえ困難になった。砂利浜消失の原因は、港湾工事による突堤の存在や、土砂災害防止のために河川に造られた砂防堰堤によると推定される。小滝川や青海川などの砂防堰堤が土砂とともにヒスイの流下までもせき止めたために、海岸までたどり着くヒスイが減っている。 ヒスイは他の岩石より重いため、海岸に打ち上げられたとしても他の石の下にもぐって見つけにくくなるという。そして、海岸にあるヒスイは波にもまれて砕かれ、やがては砂や泥程度のサイズとなって消滅してゆく。消滅に至る前に海岸にあるヒスイを採集することも、ヒスイの保護と活用につながる。宮島は砂防堰堤がせき止めた砂礫で満杯になったときに、ヒスイを含む砂礫を海岸まで運搬することによっても持続可能なヒスイの活用が図れるとしている。 フォッサマグナミュージアムの竹之内耕は、砂防堰堤について1つのアイディアを提唱している。それは、小滝川ヒスイ峡の少し上流に砂防堰堤を造ればヒスイ峡への砂礫流入が激減するため、やがては砂礫によって現時点では埋没しているヒスイの巨礫が次第に露出して文字どおりの「ヒスイ峡」になるであろうというものである。宮島はヒスイ峡のグレードアップにつながるこのアイディアに「とても画期的」と高い評価を与えた。
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