五高時代とは? わかりやすく解説

五高時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:17 UTC 版)

小島伊佐美」の記事における「五高時代」の解説

1898年明治31年7月10日帝大卒業8月16日第五高等学校嘱託講師となり、結婚転出した長谷川一郎入れ替わり熊本市北新坪井合羽丁の下宿住み込んだ1899年明治32年2月10日教授となり、1901年明治34年大学予科独語主任1906年明治39年6月第五学科ドイツ語科主任1909年明治42年1月評議員1911年明治44年10月第三部長を歴任した1912年大正元年9月6日同僚桑野礼治が広島県忠海町海水浴中脳貧血水死し同月現地調査赴いた1915年大正4年7月中国・朝鮮出張命じられたが、病気のため菊地行蔵代理赴任した1920年大正9年9月13日文部省により1年半のドイツ・アメリカ合衆国留学命じられ22日私費留学決めた同僚坂田道男と春洋丸で横浜港出港、サンフランシスコ・ロサンゼルス・グランドキャニオン・シカゴ・ナイアガラの滝を観光し、ニューヨーク拠点ワシントンD.C.ボストンにも足を伸ばしたアメリカ大学については、男女共学黒人黒さと数、運動の活発さ寄付文化博物館充実ぶりが印象残ったという。12月25日ホワイト・スター・ライン汽船ニューヨーク発ち1921年大正10年1月2日リヴァプール到着ロンドン入り秩序立った労働運動感銘受けた。ここで坂田別れて大陸渡りパリ第一次世界大戦傷跡を目にし、ベルギー・ベルギーを経てドイツ入ったベルリン大学聴講生となるも、授業には出ず、スイス・イタリア・チェコスロバキア・オーストリア・ハンガリーを巡り、後から来た坂田とデンマーク・スウェーデン・ノルウェーを旅行しマルセーユから出航1922年大正11年8月23日神戸港帰国した。 元教え子松尾精一主任教授の座を譲り1932年昭和7年2月6日教授辞職した後も、嘱託講師として無給勤め続けた5月14日武藤虎太と共に同校初の名誉教授となった

※この「五高時代」の解説は、「小島伊佐美」の解説の一部です。
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