事務担当首相秘書官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 08:24 UTC 版)
「内閣総理大臣秘書官」の記事における「事務担当首相秘書官」の解説
事務担当秘書官は、外務省、財務省、経済産業省、防衛省、警察庁の各省庁から1名ずつ、各省庁を退職し新たに任用される形で就任する。通例では、財務省出身者が事務担当秘書官の中で筆頭格とされ、他の事務担当秘書官よりも年次が上の者が就く。 秘書官には、通常、本省課長級または局次長・審議官級で、将来の事務次官候補と目されるような人物が選ばれる。高級官僚の人事ローテーションの一環と言う面があり、長期政権となった場合は、概ね2 - 3年で交代する。ただし、首相が政変などで短期で交代すれば、秘書官もその任を解かれて元の省庁に戻されるのが通例である。例外的に、5年以上に亘った小泉政権においては、警察庁出身の秘書官を除いて同じ人物が一貫して秘書官を務めた。 事務担当秘書官それぞれが1府11省3庁の処務を分担して受け持ち、首相を補佐する。また各省庁と首相官邸の連絡役として、首相演説の推敲や国会答弁の調整、政権の重要政策に関する立案・調整などを行う。出身省庁への帰属意識が強い官僚社会の風土から監視役・スパイと批判的に表現されることもあるが、首相のカリスマ性が強い場合は時として出身省庁の利害に反する行動を取ることもある。 2008年9月に発足した麻生内閣では、首相の意向により新たに総務省出身者を加え、政務担当秘書官を含めて6人体制をとった。また、最も年次が上である総務省出身の秘書官を政策統括担当とし、事実上の筆頭事務担当秘書官に位置付けた。続く鳩山由紀夫内閣では通例どおりの5人体制に戻された。その後継の菅直人内閣では、厚生労働省出身者を筆頭事務担当秘書官とする6人体制とされ、後に防衛省出身者を追加して7人体制となった。ただし、当時の政令で定員が6名とされていたため、当該秘書官は、一般職相当の「内閣総理大臣秘書官事務取扱」とされた。次の野田内閣は、菅直人内閣と同構成ながら財務省出身者を筆頭格とする7人体制とした。 2012年12月に発足した第2次安倍内閣は、政務担当秘書官を含めて6人体制となった。その後、2013年11月、憲政史上初の女性秘書官として、総務省出身の山田真貴子を起用し、7人体制とした。 2015年7月、首相秘書官の交代が行われ、山田真貴子に次ぐ史上2人目の女性秘書官として、経済産業省出身の宗像直子を起用し、6人体制とした。 2017年7月、宗像直子が、女性初の特許庁長官となり、後任に経済産業省出身で当時内閣副参事官の佐伯耕三が抜擢された。 2018年4月11日に、佐伯耕三が衆院予算委員会で希望の党代表の玉木雄一郎にヤジを飛ばし、翌4月12日に西村康稔内閣官房副長官より厳重注意を受けた。 2020年9月、菅義偉内閣発足で、防衛省出身の増田和夫以外は交代した。 2021年7月8日、定員が8人とされ、新田章文が再起用された。 2021年10月、岸田内閣発足で、防衛省出身の中嶋浩一郎以外は交代した。
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