予兆詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 01:23 UTC 版)
「暦書 (ノストラダムス)」の記事における「予兆詩」の解説
ノストラダムスは1555年向けから1567年向けまでの13年間の暦書に四行詩を添えた。四行詩は各月の冒頭に添えられたほか、その年全般に向けたものも収録されることもあった(それはしばしば題扉に掲載された)。上で述べたように、これらの四行詩は現在「予兆詩」と呼ばれる。 予兆詩は基本的に1行10音綴の四行詩という形式のため、ノストラダムスの主作品である「百詩篇集」と形式的には似通っている。しかし、百詩篇に比べて断片的なイメージを羅列する傾向が強く現れている(「電報」的と評する者もいる)。例えば、次のような詩にはそれが顕著である。 1557年5月向け 今月に結びつく、急な知らせが空に。 受理され、放置される、死亡率は不確かに。 雨は僅少。入ること。天は地を干上げる。 敗北、死、捕囚、逮捕、不運にも。 1562年全般向け 冬と春は良好で健やか、夏は凶。 日照りの秋は有害、小麦は稀少。 ワインは十分。悪い双眼、事件、迫害された者。 戦争、反抗者たち、暴動につながる欠陥。 1565年12月向け 酷い霜、氷、団結よりも一層。 既婚の未亡人たち、火、悲嘆。 遊戯、はしゃぐこと、喜び、マルスは不和を呼び込むだろう。 結婚による良い見通し。 実際のところ、形式的に共通点はあれども、百詩篇に比べたときには文学的に劣ると評価されている。 予兆詩のなかで突出してよく知られているのは以下の詩である。 1567年11月向け 大使館から帰還して、王からの贈り物は然るべき場に置かれる。 もはやすることはないだろう。ゆえに神の許へ召されるだろう。 より近き親類、友人たち、血を分けた兄弟たち。 寝台と長椅子の近くで、突然の死が発見される。 ノストラダムスはこの詩の通り、寝台と長椅子の間で倒れていたと主張する信奉者はあとを絶たない。しかし、死の前夜に最後の言葉を交わしたと主張する秘書シャヴィニー、死んでいるノストラダムスを最初に発見したとされる息子セザールは、死に様についての証言を一切しておらず、実際にどのような形で発見されたのかは分かっていない。
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