敗北、死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 13:54 UTC 版)
「クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル」の記事における「敗北、死」の解説
クリスティアンの敗北により、三十年戦争における「プファルツ期」、つまりプロテスタント反乱の時期は終わった。シュタットローンの戦いから3週間後、フリードリヒ5世は神聖ローマ皇帝フェルディナント2世との休戦協定にサインし、プロテスタント側の反乱を終わらせる事を約束した。この協定以後、神聖ローマ帝国はカトリック陣営によって支配されるかに思われる状況であった。マンスフェルトは協定締結後まもなく自軍を解散したが、1624年に諸外国が対ハプスブルク同盟を締結、1625年にデンマーク、オランダ、イングランドが戦争に参加した。 オランダやデンマーク王クリスチャン4世はクリスティアンやマンスフェルトを戦争に復帰させようとし、クリスティアンに多額の財政援助を与えた。1626年、クリスティアンはヘッセン=カッセル方伯モーリッツを味方につけてティリーの背後を奇襲する役割を命じられて取り掛かったが、ヘッセンにいたティリーに狙われ退却、ヘッセンに到着したがモーリッツから合力を拒絶され、行く当てが無くなりヴォルフェンビュッテルに進軍、そこで亡くなった。26歳だった。 クリスティアンの死でプロテスタント軍の一角が崩れ、マンスフェルト、クリスチャン4世もカトリック軍に敗北して戦力を失い、デンマーク戦争はカトリックの勝利に終わったが、皇帝の権力強化策に反発した諸侯と外国によるドイツへの干渉は続き、三十年戦争は激化の一途を辿った。
※この「敗北、死」の解説は、「クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル」の解説の一部です。
「敗北、死」を含む「クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル」の記事については、「クリスティアン・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル」の概要を参照ください。
- 敗北、死のページへのリンク