敗北と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 17:45 UTC 版)
日中戦争終結後、牟中珩は第2綏靖区副司令官に任ぜられたが、1948年(民国37年)9月、済南戦役で中国人民解放軍に敗北して捕虜とされてしまった。中華人民共和国建国後は長期にわたり思想改造を受け、1966年4月にようやく特赦されている。特赦後は中国人民政治協商会議(政協)全国文史専員に任ぜられ、1975年5月、政協山東省秘書処専員となる。1977年12月、政協山東省委員会委員に任ぜられ、翌年には同委員会第4期常務委員に選出された。1980年、中国国民党革命委員会(民革)に加入している。 1981年3月12日、食道癌により逝去。享年84。
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