予備隊および後方警戒部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 04:21 UTC 版)
「国境会戦 (朝鮮戦争)」の記事における「予備隊および後方警戒部隊」の解説
首都警備司令部(首都警備師団)の任務は金浦、仁川を含む首都圏の防御を準備することであり、第3連隊、第8連隊、第18連隊を隷下に有しており、このうち第3連隊は開戦直前の6月20日に第7師団より加えられた。部隊の主力は儀仗隊であり、戦力として期待しうるものではなかった。総員で9,548名、司令官は李鐘賛大佐であった。 第2師団は大田周辺に駐屯して小白山脈のゲリラ討伐を行っており、開戦時には春川~議政府付近に展開する計画であった。第5連隊(1,895名)、第16連隊(2,408名)、第25連隊(2,210名)を基幹として総員7,910名、砲兵・工兵を有さない軽歩兵部隊であった。このうち第25連隊は議政府正面の第7師団に編入されていたが、施設の整備が間に合わず、開戦までに移動できなかった。開戦時の師団長は李亨根准将。 第3師団は大邱・釜山周辺に駐屯してゲリラ討伐を行っており、開戦時には議政府~汶山付近に展開する計画であった。第22連隊(2,646名)、第23連隊(2,587名)の2個連隊基幹で総員7,059名、砲兵・工兵を有さない軽歩兵部隊であった。開戦時の師団長は劉升烈大佐。 第5師団は光州周辺に駐屯して全羅道や智異山周辺の治安維持を行っており、開戦時には汶山~議政府付近に展開する計画であった。第15連隊(2,119名)、第20連隊(2,185名)、第1独立大隊(698名)を基幹として総員7,276名、砲兵・工兵を有さない軽歩兵部隊であった。開戦時の師団長は李應俊少将。 これらの師団級部隊に加え、独立機甲連隊、砲兵学校教導連隊、第1工兵団があり、また重要施設の警備は警察、青年防衛隊、大韓青年団が、海岸線の警備は海軍の指揮下で特別警察隊と海岸青年防衛隊が行なう計画であった。対空警戒は、空軍本部の対空計画に基いて編成された対空監視部隊、および陸軍の各級部隊が編成した対空部隊が行なうことになっていた。
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