シャヴィニーの転記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 01:23 UTC 版)
「暦書 (ノストラダムス)」の記事における「シャヴィニーの転記」の解説
「暦書」類はかなりの部数出されていたと推測される。たとえば、ルーアンの書肆ジュアン・イエスは、1557年12月だけでノストラダムスの「暦書」類を計1000部以上(未製本含む)仕入れている。しかし、「暦書」類は翌年1年間を対象にした「読み捨て」の小冊子に過ぎなかったため、以下に示すように現存数は必ずしも多くない。中には、『1561年向けの暦』のように、当時別の文献を製本した際の裏張りに使われていたおかげで残ったものもある。このケースでは、1984年にその本(1576年刊行のラテン語文献)の保存作業の一環で、図書館員が表装を剥がしたときに発見された。 そうした現存状況の少なさはあるものの、かなり多くの内容をノストラダムスの秘書だったことのある詩人ジャン=エメ・ド・シャヴィニーが書き写し、12巻本の手稿にまとめ上げていたおかげで、主な内容をうかがい知ることはできる。この手稿自体が一時期行方不明だったのだが、1990年にディジョンの一市民が私蔵していることが判明し、リヨン市立図書館が買い取った。なお、シャヴィニーの転記は、現存する「暦書」類と比較した場合、省略や編集が加わっていることが明らかになっているため、その点に注意する必要はある。 現在、シャヴィニーによる転記のうち、「占筮」と「暦書」に収録されていた散文は「散文体の予兆」(Présages en prose)、「暦書」に収録されていた四行詩は「予兆詩」(Présages en vers)と区別されている。ただし、これらを「予兆」(プレザージュ; Présages)と総称したのはシャヴィニーが最初であり、ノストラダムス自身が積極的にそのような総称を用いていたかは定かではない(「暦書」類にはメインタイトルに "Présages" とつくものがいくつかはあり、副題的に併記されているケースも数点見られる)。
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