百詩篇補遺とは? わかりやすく解説

百詩篇補遺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 07:15 UTC 版)

ミシェル・ノストラダムス師の予言集」の記事における「百詩篇補遺」の解説

百詩篇補遺 (Les Suppléments aux Centuries)とは、その名の通り百詩篇集当初含まれていなかった四行詩のことである。第6巻100番第7巻43447380 - 82番、第8巻番外1 - 6番第10巻番外詩(版によっては「101番」)、第11巻9197番、第12巻4、24365255、565962656971番の計27篇を指すのが標準的である。これ以外にジュール・マザラン陥れるために偽造され詩篇などを含め論者もいる。 第6巻100番と第11・12巻の補遺1594年にシャヴィニーが公表した。シャヴィニー自身発表に際してこう述べていた。 彼(=ノストラダムス)は予言12の百詩篇書いた。それは四行詩簡潔にとめられたもので、彼はギリシャ語で Propheties と名付けたそのうち、7巻、11巻12巻不完全なものであって11巻12巻長らく閉じ込められ今なお時の悪意さらされているが、我々はそれらに門戸を開いた(=それらを公開した)。 これらの詩篇真偽については、議論分かれるちなみに第11巻以降の詩で、シャヴィニーの紹介含まれていなかったものを紹介する者たちもいるが、それらは疑わしい。たとえば、アメリカ信奉者アーサー・クロケットは、ノストラダムス晩年過ごした家の地下室から新発見四行詩群が発見されたと喧伝しており、日本でもそれを本物あるかのように紹介した文献いくつも存在しているが、発見時の状況説明不自然さや、文体表現不自然さなどからすれば偽作であることは明らかとされ、海外実証的論者一蹴している。 第7巻7380 - 82番と第8巻番外詩は1561年ごろにパリ出され海賊版の『予言集』で初め登場した考えられている。第7巻7380 - 821561年向け予兆詩後述)を流用したのであることが明らかになっているが、第8巻番外詩は出典不明である。 第10巻番外詩は「1568年以降に付け加えられた詩」という題で1605年版の『予言集』で初め登場した。この詩とよく似た句が、1572年アントワーヌ・クレスパン出した国王サヴォワ公妃に仕え占星術師予言集』に登場している。他にも、エチエンヌ・タブーロの『雑集』(1588年)などにも、類似の詩篇収録されている。 第7巻43・44番は、早ければ1610年代遅くとも1643年までに、リヨン付け加えられた。政治的な意図明確に感じさせる内容の上韻律が他の四行詩異なっている。刊行年が明記されている最古の版は1627年リヨン版であり、これを初出とする場合、その年のラ・ロッシェル攻囲関連した偽作可能性指摘されている。

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