中山競馬倶楽部における業績とは? わかりやすく解説

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中山競馬倶楽部における業績

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:24 UTC 版)

肥田金一郎」の記事における「中山競馬倶楽部における業績」の解説

1926年帝国競馬協会理事辞した肥田は、千葉県中山競馬倶楽部招かれ常務理事就任した。これ以前、同倶楽部葛飾村古作(現・船橋市古作にあった競馬場行徳町(現・市川市行徳)の海岸沿いへ移転することを計画していたが、その完成目前にして関東大地震関東大震災)が発生し、新競馬場津波によって流失した。この被害によって中山競馬の開催妨げられ混乱乗じた幹部同士権力闘争発生するなど、倶楽部機能麻痺状態に陥っていた。1924年より理事長欠員続いており、常務理事事実上の最高職であった肥田はまず新たな競馬場用地確保着手、旧競馬場のあった古作別の土地改めて候補に選んだ倶楽部内紛長らく競馬開催ができず土地賃借料支払い滞っていたことから、周辺地権者悪感情強く交渉難航したが、中山町々長中村勝五郎加藤貞次法典村長高恒治といった地元有力者協力取り付け翌年には契約締結至った続いて肥田は「東洋一競馬場」を建設すべく独断競馬場着工申請行ったが、承認理事会において常務理事阿部純隆が「着工申請肥田越権行為である」として不信任動議提出した。これを受け、肥田直ち農林相山本悌二郎宛て事態収拾陳情書送付。この書簡は「同倶楽部纏綿たる情実赤裸々具陳謹んで明鑑仰ぎ、もって同倶楽部刷新更正の御裁断懇願する」として、相次ぐ権力闘争などの内幕詳細に記したものであった。これに対し農林省畜産局は「紛擾終始し競馬開催が行われないことは競馬法違反であり、12月末日までに正常開催が行われなかった場合中山競馬倶楽部公認取り消す」旨の通牒返した。ここに至り内紛沈静化16日後の10月23日には新生中山競馬場着工された。その後肥田反感を持つ一派工事妨害を行うなどして裁判にも発展したが、行政による調停もあり大事に至らず昼夜兼行工事によって約70日という日数落成した翌年ら行われた新競馬場による開催活況呈しまた、身元不審人間出入りしていた旧習改め規則励行務めたことも奏功し、従来競馬界の癌」との世評であった中山競馬倶楽部急速な成長遂げた肥田その後常務理事として倶楽部主導1930年からは正式に理事長となり、死去するまでその職にあった

※この「中山競馬倶楽部における業績」の解説は、「肥田金一郎」の解説の一部です。
「中山競馬倶楽部における業績」を含む「肥田金一郎」の記事については、「肥田金一郎」の概要を参照ください。

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