中山立坑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 13:05 UTC 版)
「中山トンネル (上越新幹線)」の記事における「中山立坑」の解説
中山工区は熊谷組に対して発注され、1972年(昭和47年)7月20日に着工した。中山工区は当初計画では大宮起点112 km100 m地点から114 km900 m地点までの2,800 mを担当することになっており、112 km640 m地点の下り列車に対して本線右側20 mの離れの地点に立坑を建設して取りついた。立坑の地表面から施工基面までの深さは277.9 m、施工基面より下にさらに35.0 m掘り、総深度は312.9 mである。立坑の内径は6.0 mである。 中山立坑の地点では、基盤となる緑色凝灰岩層が隆起しており、立坑の313 mの深さのうち250 mほどが基盤の中に入っていた。このため四方木・高山の両立坑と異なり、工事中に湧水に悩まされることはほとんどなく順調に工事が進められた。他の立坑が難航を続ける中、中山立坑は1973年(昭和48年)10月12日には深さ313 mまでの掘削を完了した。その後バントン工事を1974年(昭和49年)1月31日から5月3日までかけて施工した。 なおこの中山立坑は、本坑の工事完成後は保線作業や渇水対策事業などで使用する見込みがなかったため、埋戻しが行われている。下部にはコンクリートを流し込み、その上は土砂を上部から投入して、コンクリートで蓋をして埋められている。
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