中山盛信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 01:54 UTC 版)
勝時の子源右衛門「盛信」は水野忠重に仕え、その子孫は備後福山藩水野家に4代に渡り家老として仕えている。初代中山将監「重盛」(正保2年(1645年)卒)、二代又兵衛「重治」(明暦2年(1656年)卒)、三代将監「重澄」(元禄元年(1688年)卒)、四代外記「重直」(正徳4年(1714年)卒)である。ただし、文献に彼らと「勝時」との関係は記されていないが、水野忠重の家臣であった勝時の子が忠重の死後(慶長5年(1600年))に水野勝成に仕え、血縁関係にある水野家の重臣を勤めたと思われる。なお、「水野家在城時代諸臣分限帳」には「御家老」として次の4名が挙げられている。 水野玄蕃 3000石 中山外記 2000石 小場兵左衛門 1000石 上田四郎左衛門 900石 このうち福山改易後に結城藩に仕官できたのは小場家のみで、他の三家は浪人となることを余儀なくされ、外記「重直」は京都において没したという。
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