工事妨害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/02 05:07 UTC 版)
だが着工直前、中国側責任者である本渓湖の商務総会長と権太が衝突。商務総会長が鉄道の所有権を主張し、それが認められなければ請負契約を打ち切ると通告した。 当初は契約破棄されても大勢に影響はないと楽観的に考えられていたが、商務総会長が県庁に訴えると、県庁は鉄道建設予定地の中国人以外への貸借・売買・贈与、さらに工事に協力することを禁止する決定を行った。 しかしこの決定は権太はじめとする会社幹部には伝わらず、労働者が集まらない状況でも商務総会長の個人的な小細工に過ぎないと軽視し、朝鮮から労働者を調達すれば問題ないと考えていた。 ところが1913年10月、まさに着工する段階で、地元警官が集団で労務者に対し「退去せねば殺す」と恐喝、列車に乗車させ朝鮮へ強制送還するという事件が起こった。この事件により、県や警察が組織的に建設を妨害している事実が明らかになった。 会社は建設一時中止を決定、奉天の総領事館や南満州鉄道、関東庁、関東軍などに問題解決の協力を求めたが、事態は遅々として好転しなかった。
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