中国での紙の発明と改良
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世界最古の紙は現在、1986年に中国甘粛省の放馬灘(ほうばたん)から出土した「放馬灘紙」だとされている。この紙は、前漢時代の地図が書かれており、紀元前150年ごろのものだと推定される。次いで古いのは、紀元前140年~87年ごろのものとされる灞橋紙(はきょうし)である。灞橋紙は陝西省西安市灞橋鎮で出土した。こちらは銅鏡を包む状態であったため、養生目的の梱包ないしは装飾目的の包装(包装紙)に使用されていたと推測される。 史書に残された記録では『後漢書』で、105年に蔡倫が樹皮やアサのぼろ、漁網などを使って紙を作り和帝に献上したという内容の記述がある。蔡倫による紙は「蔡侯紙」として用いられるようになったことから、蔡倫は実用性のある紙の製造法を確立した人物という説が一般的である。西晋の時代(3世紀)には、左思の『三都賦』を写すために紙の価格が高騰したという記録が『晋書』に記載されており、「洛陽の紙価を高からしむ」という故事成語になっている。 紙はその後も改良され、唐時代(8世紀)には樹皮を主原料とした紙や、竹や藁を原料として混ぜた紙が作られるようになった。宋や明の時代(10世紀以降)には、出版が盛んとなったため大量の紙が必要となり、竹紙が盛んに作られた。明末の1637年に刊行された『天工開物』には、製紙の項目で、竹紙と樹皮を原料とした紙の製法を取り上げている。 紙は羊皮紙や絹に比べれば安かったが、それでも上流階級を中心に広く使われる高価なものであった。11世紀の詩人であった蘇舜欽は、自分が勤めていた役所で出た反古紙(書き損じの使い物にならない紙)を売って、その代金で宴会を開いたために横領で糾弾されている。反古紙であっても高値で取引されていた様子がうかがえる。清の雍正帝(第5代皇帝)は質素・倹約を掲げていたので、重要な公文書などでない限り、紙は裏返して使うように勧めていた。
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