中世初期とビザンティンとは? わかりやすく解説

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中世初期とビザンティン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 05:41 UTC 版)

彫刻」の記事における「中世初期とビザンティン」の解説

初期キリスト教モニュメントのような宗教的彫刻反対していたが、肖像胸像石棺レリーフおよび執政官ディプティクなどの小物ローマ伝統続いていた。こうしたオブジェはしばし貴重な素材作られ、また(知られる限り民族移動時代主な彫刻伝統であった。それは6世紀サットン・フー埋葬宝物スキタイ美術宝飾品インスラ美術キリスト教動物文様組み合わせた造形物などに見られるビザンティン伝統継承続いてカロリング朝美術象牙彫刻を復活させ、しばしば壮大な装飾写本宝飾装丁パネルのほか司教杖先端部や他の小型装具復活させた。 ビザンティン美術は、素晴らし象牙レリーフ建築装飾彫刻生み出したが、モニュメント彫刻一切復興することなく丸彫り小型彫刻もさほど復興しなかった。しかし、西洋ではカロリング朝オットー家の時期に、宮廷大きな教会モニュメント像の生産始まった。これは徐々に普及して10世紀末から11世紀までに、アングロサクソン教会にはエッセン大聖堂黄金マドンナ (Golden Madonna of Essen) のように木枠周囲貴金属覆った明らかに等身大彫刻幾つか記録されている。アングロサクソンの例は現存しておらず、1000年以前大きな建築彫刻の例は非常に稀である。最も秀逸なものがゲロ十字架像(965-970年)で、これは明らかに最も普遍的な彫刻だった。カール大帝800年頃にアーヘンのパラタイン礼拝堂にひとつ(十字架彫刻を)設置した。これらは特にドイツとイタリア普及し続けた北欧世界ルーン・ストーンスコットランドのピクティッシュ・ストーン、それから英国キリスト教ハイクロスも恐らく、キリスト教化時代橋渡しした北方伝統的彫刻である。 象牙大天使像 (Archangel Ivory) 、525-550年。コンスタンチノープル カロリング朝後期象牙パネル。恐らくブックカバー意図したもの 『アルバヴィルの三連板』10世紀半ば象牙

※この「中世初期とビザンティン」の解説は、「彫刻」の解説の一部です。
「中世初期とビザンティン」を含む「彫刻」の記事については、「彫刻」の概要を参照ください。

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